世は三連休の最終日。
少しどんよりとした感じはありつつも、晴天が続く。
気温はある程度上昇したが、全く過ごしにくさは感じず。
昨夜遅くまで、仕事関係や企画関係の作業を進める。
それでも朝早めに起きて、依頼された文章の執筆を行ったり、仕事関係や企画関係の作業を進めたり、リハビリのためのトレーニングをこなしたりする。
村松友視の『ギターとたくあん』<集英社>を読了する。
堀威夫の半生が実に「魅力的」に描かれていたのではないか。
個人的には、『黒い花びら』<河出書房新社>と共通するエピソードが、また違った角度から記されていた点なども面白かった。
ほかに、服部龍二の『広田弘毅』<中公新書>の拾い読みもする。
クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」&『くるみ割り人形』組曲<SONY>を聴く。
結局、夕方の買い物以外は外出せず。
今日は、第一屋製パンのおおきなデニッシュクリームを食す予定。
ローソンストア100で、50円びきだったもの。
明日がいい日でありますように!
それじゃあ、おやすみなさい。
2011年10月10日
劇団野の上京都公演『臭う女 〜におうひと〜』
自信過剰はもちろん忌むべきものとはいえ、僕は自分自身の演劇やクラシック音楽、映画に対するセンサーの反応を常日頃から信じるように心がけている。
チラシのデザインでもいいし、なんなら作品のタイトルだけでもいい。
何かにぴぴんと心が反応したら、迷うべからず。
残念ながら百発百中とはいかないが、概ね7、8割の確率で「当たり」に接することができているのではないか。
そんなセンサーを今回くすぐったのが、劇団野の上京都公演(KYOTO EXPERIMENT 2011 フリンジ“GroundP”参加作品)『臭う女 〜におうひと〜』[山田百次作・演出、10月9日観劇/アトリエ劇研]で、いやこれは自分を信じて大正解。
観に行って本当によかったと思える公演だった。
たぶん今後何度でも再演されうるに足る作品だろうから(例えば、岸輝子や三戸部スエ、東野英治郎らが活躍していた頃の俳優座ならきっとうってつけだったと思う)、あえて詳しい内容には触れないけれど、にんにくの出荷作業に勤しむ農家のカッチャ(お母さん)たちの何気ない会話から、それこそにんにくの皮を剥くが如く、社会のあれこれからエロスタナトスと、いろんな事どもが臭い立ってきて、どうにもこうにもおかしくかなしい。
また、はじめのうちはちんぷんかんぷんだった津軽弁も、話が展開していくうちに、その厳しく激しい、なおかつ柔らかく優しい響きにどんどんと惹き込まれていった。
それに、ときに過剰とすら感じられるアクションも、彼女彼らの抑え込まれてきた感情の爆発であるとともに、語るべきことを充分に語り尽くすための大切な仕掛けであることも終盤はっきりとわかってくる。
(もう一つ付け加えるならば、それはあの太宰治とも共通するようなサービス精神の表われかもしれない)
劇団野の上を中心に、地元青森のメンバーをそろえた役者陣は、しっかりと地に足の着いたリアルで、それでいて、作品の持つ演劇的な効果にも柔軟に対応した見事な演技を披歴していたのではないだろうか。
特に、カッチャたちを演じた、乗田夏子、藤本一喜、工藤由佳子、鳴海まりか、三上晴佳の四人のアンサンブルが強く印象に残った。
(個人的には、どこか北沢彪を想起させる田中耕一も好みに合っている)
いずれにしても、観て愉しく面白く、心が強く動き、観終わって様々なことについてじっくり考えたくなる、そんな素晴らしい作品、公演を生み出した劇団野の上をはじめ、関係者の皆さんに心から感謝をしたい。
本当にありがとうございました。
そして、ああ、面白かった!
チラシのデザインでもいいし、なんなら作品のタイトルだけでもいい。
何かにぴぴんと心が反応したら、迷うべからず。
残念ながら百発百中とはいかないが、概ね7、8割の確率で「当たり」に接することができているのではないか。
そんなセンサーを今回くすぐったのが、劇団野の上京都公演(KYOTO EXPERIMENT 2011 フリンジ“GroundP”参加作品)『臭う女 〜におうひと〜』[山田百次作・演出、10月9日観劇/アトリエ劇研]で、いやこれは自分を信じて大正解。
観に行って本当によかったと思える公演だった。
たぶん今後何度でも再演されうるに足る作品だろうから(例えば、岸輝子や三戸部スエ、東野英治郎らが活躍していた頃の俳優座ならきっとうってつけだったと思う)、あえて詳しい内容には触れないけれど、にんにくの出荷作業に勤しむ農家のカッチャ(お母さん)たちの何気ない会話から、それこそにんにくの皮を剥くが如く、社会のあれこれからエロスタナトスと、いろんな事どもが臭い立ってきて、どうにもこうにもおかしくかなしい。
また、はじめのうちはちんぷんかんぷんだった津軽弁も、話が展開していくうちに、その厳しく激しい、なおかつ柔らかく優しい響きにどんどんと惹き込まれていった。
それに、ときに過剰とすら感じられるアクションも、彼女彼らの抑え込まれてきた感情の爆発であるとともに、語るべきことを充分に語り尽くすための大切な仕掛けであることも終盤はっきりとわかってくる。
(もう一つ付け加えるならば、それはあの太宰治とも共通するようなサービス精神の表われかもしれない)
劇団野の上を中心に、地元青森のメンバーをそろえた役者陣は、しっかりと地に足の着いたリアルで、それでいて、作品の持つ演劇的な効果にも柔軟に対応した見事な演技を披歴していたのではないだろうか。
特に、カッチャたちを演じた、乗田夏子、藤本一喜、工藤由佳子、鳴海まりか、三上晴佳の四人のアンサンブルが強く印象に残った。
(個人的には、どこか北沢彪を想起させる田中耕一も好みに合っている)
いずれにしても、観て愉しく面白く、心が強く動き、観終わって様々なことについてじっくり考えたくなる、そんな素晴らしい作品、公演を生み出した劇団野の上をはじめ、関係者の皆さんに心から感謝をしたい。
本当にありがとうございました。
そして、ああ、面白かった!