2011年08月21日

結局、お芝居を観に行った(深夜のCLACLA)

 どんよりとしたお天気。
 夜になって、雨降りになる。

 気温は下がったが、湿度が高い分、むしむしじめじめとしてあまり快ならず。


 体調不良のため、昨夜は早めに寝床に入る。

 なめくじが山ほど出てくる嫌な夢を観る。
 気色が悪く、どうにもうっとうしい。


 準・メルクル指揮リヨン国立管弦楽団が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集vol.6<NAXOS>を聴いたりしながら、仕事関係や企画関係の作業を進める。


 森絵都の『この女』<筑摩書房>を読み始める。
 書き下ろし作品とあるが、阪神大震災前夜という作品の設定は、3月11日以降に考えられたものだろうか。
(5月20日初版第一刷り)


 体調もあって迷った末、結局16時過ぎに外出し、人間座スタジオでtabula=rasa no.6 シリーズ:デッサン1『ベケットのいくつか。』を観る。
 詳しくは、前回の記事(観劇記録)をご参照のほど。

 開演前終演後、演出の高田ひとし君をはじめ、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりする。

 で、いろいろあって22時半頃帰宅した。


 今日は、プレミアム7の鈴カステラを食す。
 セブンイレブンで、税込み100円だったもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 なんでもかでも手を挙げりゃいいってもんじゃないだろう、と思うことあり。


 以上、8月20日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

tabula=rasa no.6 シリーズ:デッサン1『ベケットのいくつか。』

 高田ひとし君率いるtabula=rasaにとっては新たな試みとなる、シリーズ:デッサンの第一回目、『ベケットのいくつか。』(サミュエル・ベケット:テキスト、高田君演出)を観に、人間座スタジオまで行って来た。
(なお、シリーズ:デッサンは、簡素な舞台装置と短い期間で静物をスケッチするようにベケットを素描しよう、上演に至るプロセスを軽くし、古今の名作と言われる戯曲をやりまくろうという習作公演の試みだそうだ)

 そのタイトルからも明らかなように、『ベケットのいくつか。』は、短篇戯曲『わたしじゃない』を中心にベケットのテキストを構成し直したもので、断片的なテキストの反復変容、演者陣の舞台上での目まぐるしい移動等々、テキストとの距離の取り方や発語発話に対する高田君の意志が強く表われる一方、(だからこそ)率直に言って、観る者を愉しませ面白がらせる内容とは全く成り得ていなかった。
(むろんそうしたこと、高田君をはじめとしたtabula=rasaの面々が「おもろおかしい」舞台づくりを目標となどしていないことは、A4の用紙両面に細かい字がびっしりと書き並べられたチラシを目にすればすぐにわかることだろうが)
 個人的には、演出上の志向や嗜好、仕掛けや実験のそこここから、一種「気違いじみた」とさえ形容したくなるほど、高田君の内面の諸々、切迫感や焦燥感、激しい感情が噴き出していたように感じられた点が非常に興味深かった。
 高田君が、今後それをどう馴らしていくのか、それともあえて一層むき出しにしていくのか、とても気になるところである。

 また、崎田ゆかりさん、にへぇでびるさん、前田愛美さんの演者陣は、一ヶ月という限られた時間の中で、高田君の意図によく沿う努力を重ねていたのではないだろうか。
 ただ、高田君が実際に演出で求めたことだけではなく、高田君がとる演劇的スタイルに本来求められるだろうことと、個々の演者の特性や魅力、身体感覚の間にどうしても齟齬を感じてしまったことは付け加えておきたい。
(当然それは、今すぐにどうこうしろということではなく、中長期的な課題だとも思うけれど)

 あと、途中バッハのゴルトベルク変奏曲が効果的に使用されていたが、音楽が舞台に勝ってしまうきらいもなくはないことから、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番の第1楽章を使用しても悪くなかったのではないかと思ったりもした。
posted by figarok492na at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする