2011年01月31日

下京図書館へ行って来た(CLACLA日記)

 咳込みは続いているものの、ようやく熱が下がる。


 お昼過ぎに外出し、下京図書館へ。
 本当はまだ行きたくなかったのだが、佐藤亜紀の『醜聞の作法』<講談社>を返却してしまわなければならなかったため。
 ほかに、鹿島茂の『甦る昭和脇役名画館』<同>、宍戸錠の『シシド』<新潮社>、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』<同>も返却し、堀江敏幸の『めぐらし屋』<毎日新聞社>、島田雅彦の『佳人の奇遇』<講談社>、予約したままになっていた吉田秀和の『音楽のある場所』と『音楽の二十世紀』<ともに新潮社>を新たに借りる。


 帰宅後、早速『めぐらし屋』と『音楽のある場所』を読み始める。


 ほかに、仕事関係や企画関係の作業を再開し、11月の創作活動について総括する。


 グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番、第16番〜第18番<いずれもSONY>を断続的に聴く。


 夕飯後、仕事関係の作業を進め、『めぐらし屋』と『音楽のある場所』を読み進める。
 『音楽のある場所』は、『レコード芸術』誌連載の「今月の一枚」をまとめたものである。


 ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第1番と第2番<TELDEC>を聴く。


 今日は、明治ハイミルクチョコレートを食す。
 ドラッグユタカのセールの上に、さらに10パーセントオフで、税込み61円だったもの。
 その名の通り、ミルクがたっぷりと入ったチョコレートで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 エジプトの政治情勢についていろいろと考える。
 全く他人事ではない。


 それにしても、寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

静養につとめた一日(CLACLA日記)

 ようやく熱は下がってきたが、咳込みが続いていることもあり、夕方の買い物以外は部屋に閉じこもって静養につとめる。
 本当はC.T.T.の試演会を観に行きたかったのだけれど、仕方ない。


 堀江敏幸の『雪沼とその周辺』<新潮社>を読了する。
 体調不良でタイムロスが生じたことは置くとして、ゆっくりと読み進めて正解の一冊だったと思う。
 堀江さんの作品は、これからも読み重ねていきたい。


 モッツァフィアートが演奏したベートーヴェンの管楽8重奏曲他<SONY>と、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第2番<TELDEC>を断続的に聴く。


 今日は、ブルボンのアルフォート・ミニチョコレートバニラホワイトを食す。
 ドラッグユタカのセールに加え、10パーセントOFFサービスで、税込み70円だったもの。
 ホワイトチョコレートをのせたココア地のビスケットで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

静養中です

 火曜日に高熱が出て倒れ、この間苦しい毎日を過ごしていました。
 未だ熱がとれず、快復までにはあと少しかかりそうです。
 日記の再開まで、今しばらくお待ち下さい。
posted by figarok492na at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月25日

おやすみなさい!(CLACLA日記)

 今日は、企画関係の打ち合わせの予定が入っていたが、諸般の事情で延期ということになる。
 東京疲れがたまっていることもあり、無理に今日行わなくて正解だったかもしれない。


 堀江敏幸の『雪沼とその周辺』<新潮社>を読み進める。


 ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第90番、モッツァフィアートが演奏したベートーヴェンの管楽8重奏曲他、バリトンのボー・スコウフスがヘルムート・ドイチュのピアノ伴奏で歌ったシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』他<いずれもSONY>を断続的に聴く。


 夕飯用の買い物をすませて帰宅してすぐ、急に体調が悪くなる。
 もしかしたら、風邪かインフルエンザかもしれない。
 いずれにしても、早く寝床に入らなければ。

 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

喜味こいしが亡くなった(CLACLA日記)

 観劇記録、東京日記と、ブログのアップで疲れた…。


 漫才師の喜味こいしが亡くなったということを、昨夜の帰りの新幹線の電光掲示板のニュースで知った(83歳)。
 こいしさんが今は亡き夢路いとしとの兄弟コンビで繰り広げた漫才は、まさしく正統派の名に相応しいものだったと思う。
 また、昨年たまたま読んだ『いとしこいし想い出がたり』<岩波書店>にも記されていたことだが、こいしさんは広島での被爆者で、近年そのことを折にふれて語るようになっていた。
 いずれにしても、夢路いとし・喜味こいしは不世出の兄弟漫才コンビだった。
 深く、深く、深く、深く、深く黙祷。


 今日は、午前中に郵便局に行っていくつか用件をすませたほか、夕飯用の買い物のため夕方にも外出した。
 あとは、部屋で仕事関係や企画関係の作業を進め、ブログの投稿を行う。


 東京で購入した、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第88番〜第90番<SONY>、クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」他<オワゾリール>、モッツァフィアートが演奏したベートーヴェンの管楽8重奏曲他、バリトンのボー・スコウフスとピアノのヘルムート・ドイチュが演奏したシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』他<ともにSONY>、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第2番<TELDEC>を断続的に聴く。


 夕飯後、今後の創作活動について考え、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』<新潮社>を読み進める。
 繰り返しになるが、『雪沼とその周辺』に収められた作品には、一篇一篇大切に読みたいと思わされる。


 京都市図書館のインターネットサービスで、吉田秀和の『音楽のある場所』、『音楽の二十世紀』、『今月の一枚』<いずれも新潮社>を予約しておく。


 ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第88番と第89番を聴く。


 今日も、甘いものは食さなかった。
 ここ数日、甘いものを食べていないなあ…。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中瀬の東京日記2011冬

 田上パル第10回公演の観劇記録にも記した通り、旧知の松田裕一郎さんのお誘いもあって、22日、23日と、久しぶりに東京を訪ねて来た。


 22日は、まず午前11時16分京都発ののぞみに乗って13時半過ぎに東京に到着すると、すぐに近くの三菱一号館美術館へ向かう。
 現在開催中の「カンディンスキーと青騎士」展を観るためだ。
 青騎士とは、カンディンスキーが中心となって展開された20世紀初めの芸術運動で、今回はミュンヘン市立レンバッハハウス美術館所蔵の作品が60点展示されていた。
で、カンディンスキーと親密な関係にあったガブリエーレ・ミュンターや、フランツ・マルク、アウグスト・マッケ、アレクセイ・ヤウレンスキーらの作品も悪くはなかったが、やはり心に強く残ったのは、カンディンスキーの1910年代の一連の作品だった。
 特に、色彩の乱射とでも呼びたくなるような『<コンポジション7>のための習作2』は、ついつい何回も観返したほどだ。
 眼福眼福。


 その後、仕事関係の用件を一つ片づてから新宿のディスクユニオン新宿クラシック館に移動し、ブルーノ・ヴァイル指揮ターフェルムジークが演奏したハイドンの交響曲第88番〜第90番、バリトンのボー・スコウフスとピアノのヘルムート・ドイチュが演奏したシューベルトの歌曲集『白鳥の歌』<SONY>とクルト・マズア指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団他が演奏したメンデルスゾーンの交響曲第2番<TELDEC>を購入する。
 いずれも、前々から欲しいと思っていたものだ。


 池袋から東武東上線で鶴瀬まで行き、駅前のマクドナルドで一休みしたのち(申し訳ないけど、ここの駅前はどうにもさびしい…)、バスで富士見市民文化会館キラリ☆ふじみへ向かい、そのマルチホールで田上パルの第10回公演を観る。
 詳しくは、前々回の記事をご参照のほど。

 公演終了後、松田さんより、元青年団の小畑克典さんご夫妻、田上豊さんをご紹介いただき、鶴瀬駅近くの居酒屋で小畑さん、松田さん、田上さんと話しをする。
 中でも、小畑さんと田上さんのお話に刺激を受けた。


 田上さんの車で松田さんのマンション近くまで送っていただいたのち(車中では、いつもの如く松田さんが名調子)、コンビニで買い物をすませてから松田さんのマンションへ。
 で、演劇についてなどあれこれ話しができたこと、健康のためサプリメントを飲ませてもらえたこと、さらには朝起きて朝ごはんをごちそうになったこと、そして、今回こうやってお誘いいただいたこと、いずれも嬉しくありがたいかぎりだったが、すっぽんとマムシのエキス配合の精力剤(手足の先が暖かくなったのは確かだけれど)を飲まされたのにはまいった。
 あと、またもやイラブー(海蛇)の干物を見せられたのにもまいった。
(ずいぶん前に、京都の松田さんの部屋で、岡嶋秀昭さんと藤本隆志さんとですき焼きパーティーを開いたときにも、これを見せられたのだ。おまけにあのときは北朝鮮の正体不明なドリンクまで…)


 23日は、11時台に松田さんの部屋を出、新国立劇場へ向かったが…、で、結局シアタートラムでミナモザの『エモーショナルレイバー』を観た、ということに関しては前回の記事をご参照のほど。


 終演後、仕事関係の用件を一つ片づけてから御茶ノ水へ移動し、ディスクユニオンお茶の水クラシック館で、クリストファー・ホグウッド指揮アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックが演奏したモーツァルトのセレナード第9番「ポストホルン」他<オワゾリール>とモッツァフィアートが演奏したベートーヴェンの管楽8重奏曲他<SONY>を購入する。
 これもまた、前々から欲しいと思っていたもの。

 本来ならば駅近くの立ち食いソバ屋の明神で東京流のソバを食べておきたかったのだが、あいにく日曜日ということで閉まっていた。
 残念なり。


 そして、そこから東京駅まで出、空腹のまま17時40分ののぞみで京都に戻った。


 と、言うのが今回の「中瀬の東京日記2011冬」である。

 今回の東京滞在では、ある程度わかってはいたものの、東京の小劇場と京都のそれとの大きな違いの一端を実際の舞台で痛感させられたことが一番の収穫ではないか。
(もちろん、小畑さんや田上さんと面識を得られたことや、仕事関係の用件をこなせたことも大きな収穫だけれど)
 そして、あくまでも演劇関係者としての考えであると断った上でだが、京都における150席〜250席規模の劇場の必要性を強く感じたことも、ここに付記しておきたい。
posted by figarok492na at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ミナモザ『エモーショナルレイバー』

 東京滞在二日目の23日。
 はじめは、新国立劇場で『大人は、かく戦えり』を観ようかと思っていたのだが、正午過ぎにのこのこと小劇場まで向かったものだから、当然当日券はなし。

 と、言うことで、自分自身の勘に従って(一つは、初台からそれほど遠くないこともあって)三軒茶屋のシアタートラムまで移動し、ミナモザの『エモーショナルレイバー』(瀬戸山美咲作・演出)を観ることにした。
 で、この選択は全く間違っていなかったのではないかと、僕は思う。

 いつものことながら、詳しい内容は記さないけれど、『エモーショナルレイバー』は振り込め詐欺グループの拠点(マンションの一室)を舞台に繰り広げられるアンサンブル劇で、まずもって個々の登場人物の人物造形や、登場人物間の関係性の設定の巧みさが印象に残る。
 そして、そうした背景があるからこそ、登場人物が発する「転倒した言葉」(彼彼女らの転倒した感情)が強い力を持って迫って来るようにも感じた。
(例えば、グループのリーダー=「店長」がグループのメンバーを叱咤するシーンなど、その最たるものだ)
 加えて、この『エモーショナルレイバー』がいわゆる社会派的な要素ばかりで成立しているのではなく、母性の問題について言及されている点も僕には興味深かった。
 さらに忘れてならないのが、この作品がドライでグロテスクな笑いを多分に含んだ作品だということである。
 その意味でも、僕は桐野夏生の一連の作品を思い出しもした。

 役者陣は、ライヴ特有の傷があったり、ところどころ類型的な表現を行っているような感じがするなど、細かいことを言い出せばいろいろと不満はあるのかもしれないが、基本的には作品の世界観によく沿った演技を行っていたと思う。

 田上パル、そしてこのミナモザと、東京の小劇場の若手中堅のあり様と京都のそれとの大きな違いを識るという意味でも、二つの公演を観ておいて本当に正解だった。
posted by figarok492na at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田上パル第10回公演『ミートくん』『アンヒビオ』

 皆さんは、田上パルという劇団をご存じだろうか。
 熊本出身で、桜美林大学に学んだ田上豊さんを中心に結成された団体で、2008年から3年間、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみのキラリンク☆カンパニー(レジデンス・カンパニー)に選ばれた…。
 と、言ったことどもは、首都圏にお住まいの演劇関係者やシアターゴアの方たちならばとうにご承知のことかもしれないが、京都に住んで東京の小劇場事情にうとい当方は、恥ずかしながらこれまでその存在を知らずにいた。
 そんな田上パルの公演に今回出演するので、中瀬さんも観に来ませんか、と旧知の松田裕一郎さん(仕事の関係で、現在東京滞在中)からお誘いがあり、そこは一応芝居好きのはしくれ、喜び勇んでキラリ☆ふじものマルチホールまで、田上パルの第10回公演『ミートくん』、『アンヒビオ』(田上豊さん作・演出)を観に行って来た。

 で、出演者の体調不良のため、田上さん自身が急遽代役を果たすというスクランブル発進の初日初回、1月22日の夜の回を僕は観たわけだが、個人的には、はるばる東京、よりさらに遠く埼玉県の富士見市まで足を運んで大正解の公演だった。

 まずは、二本立ての前半『ミートくん』だが、こちらはチラシの「肉体を酷使する人生論」という惹句がストレートに表わされた一本で、もう一つ言えば、松田裕一郎という他の役者陣と一回り年齢の違う役者が座組みに加わったことから生まれた作品とも言えるだろう。
 未だ公演中なので詳しくは記さないが、役者の身体性(階段落ちは必見!)によって伝えようとすること(もしくは、そういった作品の構造・構図)が明確に示された内容で、終盤他の面々が松田さんを説得しようとする支離滅裂滅茶苦茶な動きと言葉に、曰く言い難い切実さと説得力を感じた。
 ただ、この作品の随所に仕掛けられた「笑いの種」の効果に関しては充分に認めつつも(実際、多くのお客さんから笑い声が聴こえていた)、それが笑いのための笑いではなく、道具としての笑いように強く思われたことに加え、上述した危機的状況の中で、本来意図している以上にぎくしゃくとした感じを覚えたこともあって、僕自身はあまり笑うことができなかった。
 役者では、松高義幸さん、平岩久資さん、安村典久さん、猪瀬青史さん、松田裕一郎さんの男性陣がまずもって魅力特性を発揮していたのではないか。
(松田さんは、後半意識が変化するところで、もう少しためがあってもいいかと思った)
 女性陣も好演で、特に角梓さんの存在感が印象に残る。

 休憩を挟んで後半は、『アンヒビオ』だが、いやあこれは面白かった。
 チラシによると、アンヒビオというのは、「幼児が自分で遊び方を考えなければならない変なブロック」の名称なんだそうだけど、まさにその名の狙いがどんぴしゃの、仕掛けたっぷり遊びもたっぷりな作品に仕上がっていた。
 これもまた詳しい内容については一切触れないが、「茶碗の中をのぞくと見知らぬ男がそこにいて、振り向くとおや不思議誰もいない…」といった趣きすらある展開で、田上パル十八番の熊本弁を駆使した家庭劇(そしてそれに、僕は同じ九州人として「俄」=今は亡きばってん荒川らのを思い出す)やら音楽劇やらの要素も意欲的に取り入れられていて、その「不思議な世界」を愉しみながら、僕はあれやこれやを想い考え感じることができた。
 ここでは、二宮未来さんが作品の鍵となっており、その個性が最大限に活かされていたように感じた。
 一方、南波早さんは受けて立つというか、いわゆる「普通の人」を巧く体現していたと思う。
 そして男性陣や角さんも『ミートくん』に輪をかけて、その魅力特性を発揮していた。
(初日初回の緊急事態ということでトラブルもいろいろあったのだけれど、作品の造りもあって、僕には逆に面白く感じられたほどだった)

 いずれにしても、こうした計画された粗雑さ、「解体工事」のあとに、いったいどのような作品世界が創り出されていくのか。
 田上パルの今後の活動に大いに期待するとともに、ぜひとも関西(京都)でも彼彼女らの公演を観たいと僕は強く思う。
posted by figarok492na at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おやすみなさい!(深夜のCLACLA)

 22日に東京を訪れ、23日の夜に京都に戻り、その後急な用件が入り、それをすませて帰宅。
 ようやくパソコンを開いたところ。

 田上パルの第10回公演『ミートくん』『アンヒビオ』(富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ マルチホール)とミナモザの『セモーショナルレイバー』(シアタートラム)の観劇記録、並びに東京での日記に関しては、24日以降にアップする予定。


 それにしても、疲れた。

 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

東京訪問前日(CLACLA日記)

 明日明後日と東京を訪問することもあって、今日は夕方の買い物以外は外出せず、部屋で仕事関係や企画関係の作業を進めたり、読書をしたりして過ごす。


 宍戸錠の『シシド』<新潮社>を読了する。
 宍戸錠が日活の主役陣に加えられ、石原裕次郎がスキー場での事故で重傷を負ったところで(つづく)の文字が…。
 できれば続き続きが読みたいのだけれど、『シシド』刊行から10年間、未だに続篇は出ていない。
 残念なり。
(なお、谷啓たちとマージャンに興じていた当時の恋人を宍戸錠がひっぱたいたくだりについては、彼について詳しくとり上げた小林信彦の『日本の喜劇人』<新潮文庫>の第六章の「醒めた道化師の世界」にも記されている)


 続けて、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』<新潮社>を読み始める。


 グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア<SONY /BMG>、ピアノのエリック・ル・サージュ他が演奏したプーランクの室内楽曲全集<RCA、2枚組>を断続的に聴く。


 夕飯後、『孤燭』について考え、『雪沼とその周辺』を読み進め、東京訪問の準備を行う。
 『雪沼とその周辺』は、一篇一篇を大切に読んでいきたいと思える連作小説だ。


 グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY/BMG>を聴く。


 今日は、グリコのとろーりクリームプリンを食す。
 グルメシティで、税込み69円に値下げされていたもの。
 ホイップクリームがたっぷりと入ったプリンで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!


 前原外務大臣が「思いやり予算」に署名したそうだ。
 いつものことながら、何が思いやりなのかと思ってしまう。

 今日も寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

京都リサーチパーク町家スタジオの雑煮の会に参加させていただいた(CLACLA日記)

 今日は夕方外出し、京都リサーチパーク町家スタジオで開催された雑煮の会に、クラシカル・オーケストラ京都のプロジェクト代表である川畑隆君とともに参加させていただいた。
 で、昨年本多優之さんとのワインの会でもお世話になったさっこさんこと中山咲子さんの美味しいお料理(愛知のおすまし風雑煮、京都の白みそのお雑煮、そして島根のぜんざい風お雑煮など)に舌鼓を打ちながら、様々な方のお話をうかがい、強く刺激を受ける。
 また、クラシカル・オーケストラ京都についてもいろいろとご説明することができた。
 非常に密度が濃く、実り多い時間をいただくことができ、本当にありがとうございました!


 外出前、仕事関係や企画関係の作業を進め、宍戸錠の『シシド』<新潮社>を読み進める。


 フォルテピアノのアンドレアス・シュタイアーとアレクセイ・リュビモフが弾いたシューベルトのハンガリー風のディヴェルティスマン&フランスの旋律によるディヴェルティスマン<TELDEC>と、ヨエル・レヴィ指揮クリ―ヴランド管弦楽団が演奏したシベリウスの交響曲第2番&交響詩『フィンランディア』<TELARC>を聴く。


 今日は大寒。
 厳しい寒さが続く。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

京都造形芸術大学を訪れた(CLACLA日記)

 今日は、この間企画関係でお世話になっている勝見九重さんと京都造形芸術大学を訪れ、勝見さんが個人会員として参加している(し、昨年、京都芸術劇場春秋座でのイベントも企画した)京都文藝復興倶楽部の事務局長で、京都造形芸大の法人企画課長の浅埜之博さんをご紹介していただく。
 浅埜さんには、クラシカル・オーケストラ京都など、現在進めている企画についてご説明したほか、学内の施設を案内していただいたりもした。
 お忙しい中、貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。

 また、アットマークカフェで勝見さんと簡単な打ち合わせを行っているときに、橘市郎さんをお見かけし、勝見さんをご紹介することもできた。
 本当にありがとうございました。

 その後、別所に移動し、勝見さんのお話をうかがう。
 なんらかの形でお役に立てればと思う。

 勝見さんと別れたのち、アトリエ劇研に寄って、杉山準さんと少しだけ立ち話をする。


 就寝前に鹿島茂の『甦る昭和脇役名画館』<講談社>を読了し、外出前に宍戸錠の『シシド』<新潮社>を読み始める。


 グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY/BMG>を聴く。


 夕飯後、企画関係の作業を進め、『シシド』を読み進める。
 『シシド』は、宍戸錠が自らの来し方(俳優人生)を振り返った自伝的小説だ。


 今日も、甘いものは食さず。


 ピアニストの長岡純子が亡くなった(82歳)。
 深く、深く黙祷。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

和田勉が亡くなった(CLACLA日記)

 先日、フジテレビの元プロデューサー横澤彪の訃報を耳にしたばかりだが、今度はNHKの元ディレクター、プロデューサー和田勉が亡くなった(80歳)。
 ただし、横澤さんのほうはバラエティ番組で知られたが、和田さんはNHKではドラマ畑一筋の人だった。
 特に土曜日の晩に放映された一連のドラマが有名で、中でも『阿修羅のごとく』が僕には強く印象に残る。
 一つには、あのトルコ軍楽隊のものものしいテーマ音楽もあってのことだろうけれど(ドラマの内容にどんぴしゃの音楽!)、子供心ながら、登場人物たちの葛藤や、人間存在そのもののおかしさ、哀しさ、怖さがひしひしと伝わってきて、今でも忘れられないのである。
 NHKを退いたのちは、映画監督を務めたり後継者の育成に努めたりしたほか、バラエティ番組にもたびたび登場してそのユニークな人柄を振りまいたが、やはり和田さんの本領はテレビドラマの演出にあったのではないかと思う。
 深く、深く、深く、深く、深く黙祷。


 今日は、夕方の買い物以外は外出せずに、部屋で仕事関係や企画関係の作業を進めたり、『孤燭』の下書きやノート書き、PCへの打ち込みを進めたり、とまる。のレビューを仕上げたりする。


 ほかに、鹿島茂の『甦る昭和脇役名画館』<講談社>と佐藤亜紀の『醜聞の作法』<同>を読み進める。


 ネルソン・フレイレが弾いたショパンの練習曲集作品番号10&舟歌&ピアノ・ソナタ第2番<DECCA>、エフゲニ・キーシンが弾いたブラームスのピアノ・ソナタ第3番他<RCA>、アリシア・デ・ラローチャが弾いたグラナドスのスペイン舞曲集&詩的なワルツ集<同>、グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア<SONY/BMG>を断続的に聴く。


 夕飯後、『醜聞の作法』を読了する。
 あまりの面白さについつい読み終えてしまったのだ。
 それにしても、なんと機智に富んだ作品だろうか。
 いつものことながら、佐藤亜紀の筆運びには舌を巻くばかりである。
(この作品が何と向き合っているのか、二重三重の意味でそのことが示された「第十六信」が、もしかしたら『醜聞の作法』の肝かもしれない)

 ほかに、『甦る昭和脇役名画館』を読み進める。


 マルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊他が演奏したラモーの『アナクレオン』他<ARCHIV>を聴く。
 華やかで耳なじみのよい一枚だ。


 今日は、甘いものは食さず。


 一事が万事。
 と、口にしたくなるようなことがある。
 自省あるのみ。


 それにしても寒い。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

増村保造監督の『闇を横切れ』を観た(CLACLA日記)

 阪神・淡路大震災から16年が経った。
 全ての犠牲者の方々に、深く、深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜から今朝にかけて、雪が降る。
 その後は青空の見える好天となったが、厳しい寒さは変わらず。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 10時台に起床し、すぐさま毎週恒例の洗濯を始める。
 寒さは厳しかったが、お天気がよくなったため。
 ついでに、掃除機かけもすませた。


 杉森久英の『大政翼賛会前後』<文藝春秋>を読了する。


 続けて、鹿島茂の『甦る昭和脇役名画館』<講談社>を読み始める。
 鹿島茂が若き日に没頭したプログラムピクチュア詣での中で強い印象に残った役者たちを、名画館ののりで三本の出演作品を軸に語った一冊。
 荒木一郎、ジェリー藤尾、岸田森、佐々木孝丸、伊藤雄之助、といったラインナップがとても嬉しい。
 それにしても、戦前に全共闘と時代は違うとはいえ、杉森久英、鹿島茂と、心情左翼の「挫折体験」の持ち主の著書を続けて読むという偶然には驚く。


 レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルが演奏したブラームスの交響曲第2番&大学祝典序曲<ドイツ・グラモフォン>と、ヴァイオリンのシェロモ・ミンツとクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏した同じくブラームスのヴァイオリン協奏曲&大学祝典序曲<同>を続けて聴く。


 14時台に外出し、下京図書館へ。
 『大政翼賛会前後』を返却し、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』<新潮社>と、予約しておいた佐藤亜紀の『醜聞の作法』<講談社>を新たに借りる。


 帰宅後、昔なじみからもらった増村保造監督のDVDのうち、『闇を横切れ』(1959年、大映東京)を観る。
 『闇を横切れ』が、川口浩演じる地方新聞の若手記者が地元ボスの悪事を暴いていくという、菊島隆三(と増村監督)の脚本らしい社会派エンターテインメントだが、まずもって川口浩の正義感ぶりが非常に「らしく」、役によくはまっている。
 また、山村聰や滝沢修、浜村純、高松英郎、松本克平ら脇役陣も、いつものことながら演技達者で観せる。
 そして、映画音楽が一切使用されない中で、ライトモティーフのように鳴り響く口笛の『ラ・マルセイエーズ』が印象的だ。
(そういえば、同じ増村監督の『巨人と玩具』の中でも、一箇所『ラ・マルセイエーズ』が聴こえるシーンがあるんだった)

 余談だが、劇中、医学部の教授が主人公に向かって「癌に気をつけろ」と口にする場面があって、川口浩自身が癌で亡くなったことを思い出し、なんとも言えない気持ちになった。


 夕方再び外出し、夕飯用の買い物をすませる。


 夕飯後、『醜聞の作法』を読み始め、『甦る昭和脇役名画館』を読み進め、『孤燭』について考える。
 『醜聞の作法』は、18世紀フランスを舞台とした書き下ろし最新作で、書簡や覚え書きというスタイルが巧く利用されている。
(そしてそれは、『危険な関係』をすぐに想起させる)


 コンチェルト・ケルンが演奏した『バスティーユの襲撃』<CAPRICCIO>を聴く。
 このアルバムの中に、『ラ・マルセイエーズ』の旋律を引用したダヴォーの協奏交響曲(第1楽章)が収められていることもあって。
 なお、タイトルからもわかるように、『バスティーユの襲撃』は、フランス大革命にまつわる作品を集めたアルバムである。


 今日は、神戸屋のもちもち工房むしぱん・抹茶を食す。
 フレスコで、3割引、税込み74円だったもの。
 小豆かのこののった抹茶地のもちもちとした食感のむしぱんで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雪、また雪の中お芝居を観に行った(深夜のCLACLA)

 お昼過ぎ頃までは青空が見えていたと言うのに、徐々にどんよりとし始め、夕方頃には雪、また雪のお天気となる。
 言うまでもないが、寒さも非常に厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。

 それにしても、よりにもよってどうしてこんな季節に大学入試なんて行うのかね、全く。
 例年のことながら、ついついそう思ってしまう。


 夕方になって外出し、アトリエ劇研で劇研アクターズラボ+正直者の会 鉄人漁船第二回公演『恋愛論』(田中遊さん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
(前回の『Plant』が非常によかったので、今回はどうしても厳しい感想になってしまった)

 開演前終演後に、田中さんや出演者の面々、杉山準さんや高田ひとし君、藤本隆志さんら関係各氏と立ち話をしたり、あいさつをしたりする。

 その後、企画関係の打ち合わせをすませ、22時を過ぎて帰宅した。


 外出前と移動中、杉森久英の『大政翼賛会前後』<文藝春秋>を読み進める。
 杉森さんが中央公論社から大政翼賛会に入ってからのちの活動が細かく綴られていて、非常に面白い。
 また、大政翼賛会がもともと「左翼」を基盤にして結成されたものであるという指摘も、実に興味深い。


 新しい小説のタイトルを『孤燭』とし、その冒頭部分の下書き、ノート書き、PCへの打ち込みを行う。


 イーヴォ・ポゴレリチが弾いたドメニコ・スカルラッティのソナタ集、クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団が演奏したロッシーニの序曲集、ハーゲン・カルテットが演奏したシューマンの弦楽4重奏曲第2番&第3番<いずれもドイツ・グラモフォン>、ボロディン・カルテット他が演奏したシューベルトの弦楽5重奏曲<TELDEC>を断続的に聴く。


 帰宅後実家から電話があり、母と少し話しをする。
 多謝。


 今日も、丸中製菓のしっとりはちみつケーキを食す。
 昨日の残りなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 以上、1月16日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇研アクターズラボ+正直者の会 鉄人漁船第二回公演『恋愛論』

 いつもの如くわかりにくいたとえで申し訳ないが、楽曲のアナリーゼに秀でたイーゴリ・マルケヴィチばりの鬼才指揮者が手兵のユース・オーケストラを叱咤して、リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』の7つのヴェールの踊りと交響詩『ドン・ファン』、『ばらの騎士』組曲、プッチーニの交響的奇想曲、レスピーギのボッティチェリの三枚の絵、ストラヴィンスキーの交響詩『うぐいすの歌』とバレエ音楽『カルタ遊び』、そしてファリャのバレエ音楽『恋は魔術師』を演奏し切ったという感じ。
 と、言うのが、劇研アクターズラボ+正直者の会 鉄人漁船第二回公演『恋愛論』(田中遊さん作・演出)を観ての僕の正直な感想だ。
 それではわかりにく過ぎる、と言うのであれば、こう言い換えてもよい。
 指揮者の目指すところは大いに理解がいくし、オーケストラの面々も指揮者の意図に沿って充分に奮闘努力していた。
 しかしながら、今の彼彼女らにとってはそのプログラミングは荷が重過ぎるだろうし、それより何よりコンサートの時間が長過ぎる、と。


 公演プログラムに田中さん自身が記している通り、鉄人漁船としては二回目、田中さんとアクターズラボの公演クラス生としては三回目にあたる今回の『恋愛論』で、田中さんが「上積み」を目標としていたことは明らかだろう。
 演者陣の演技という点でもそうだし、作品そのものの構成、構造、スタイルという点でも、前回の『Plant』からのステップアップがはかられていたことに関しては、ここで繰り返すまでもあるまい。
 実際、『恋愛論』は、例えば1990年代以降の小劇場の作品を演じるという観点から考えても、演者陣にとって一つの有効な教材であり課題に成り得ていたように、僕には感じられた。
 ただ一方で、今回の公演はひとまず置くとして、公演クラス生たちがより広範囲な演劇のスタイルに接する機会もこれからは一層必要なのではないかと思ったことも事実である。
 また、公演クラス生の公演という制約から、(実質的には、演者ごとの軽重が存在したとして)表面的には演者間のバランスをとったテキストとならざるをえないことは了解しつつも、そうした配慮が場面と場面の間のつながりの弱さを生んでいるというか、全体的に観て、どこかまとまりに欠ける結果につながっていたように僕には感じられて仕方がなかった。
 少なくとも、上演時間はもっと短くてもよいのではないかという気が僕にはした。
 加えて、個人的には演者の演技とのバランスという意味合いから、映像の使用にも疑問が残った。

 演者陣は、個々の特性や経験の差はありながらも、基本的には田中さんの意図に沿う努力を重ねていたと思う。
 ただ、演者によっては、現段階の彼彼女らの能力を超える演技が求められているように感じられた場面もあって、そうした無理が、果たして即彼彼女らの「上積み」につながるのかどうか、演者個人がどのように考えどのように納得しているのか気になったりもした。
(僕自身は、字義通り「バイオリン弾きの女」だった板倉真弓さんが印象に残る。もしかしたら、板倉さん本人は台詞の多寡で不満があるかもしれないけれど、舞台上での無理のなさ、チャーミングさでは、やはり彼女を最初に挙げておきたい)


 いずれにしても、こうしたプロセスを経て、田中さんと公演クラス生たちが次回どのような公演を創り上げていくかが重要だ。
 その意味でも、次回の公演を大いに期待したい。
posted by figarok492na at 01:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

細川俊之が亡くなった(CLACLA日記)

 花田清輝は、山本嘉次郎監督の『カツドウヤという名の人類』を引きながら、
>当然、二枚目をやるべき美男の役者が、テレ屋だったため、わざと三枚目をやっていたということである<
と、その『胆大小心録』を結んでいるが、俳優の細川俊之が亡くなったことを知って、ふとこの文章のことを思い出した。
 と、言っても、実際の細川さんがテレ屋であったかどうかは僕は知らない。
 ただ、その甘いマスクと甘い声(「パローレ」の繰り返しで知られる中村晃子との『甘い囁き』のカバーなど、細川さんの美声なしでは考えられない企画だったろう)を活かして二枚目役を堂々とこなす傍ら、ときにそうした自分を戯画化するかのような役柄を細川俊之という役者が見事に演じ切っていたことも、また確かな事実だろう。
(その代表としては、久世光彦演出の『ムー一族』や三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』が挙げられるだろうが、僕は『相棒』シリーズの神父役にも、そうしたセルフパロディ臭を感じざるをえなかった)
 70歳での死は、まだまだ早いというしかない。
 深く、深く、深く、深く、深く黙祷。


 お昼過ぎに外出し、下京図書館まで足を運ぶ。
 で、奥泉光の『神器』上・下<新潮社>と矢野誠一の『文人たちの寄席』<白水社>、斎藤美奈子の『物は言いよう』<平凡社>を返却し、予約しておいた杉森久英の『大政翼賛会前後』<文藝春秋>、宍戸錠の『シシド』<新潮社>、鹿島茂の『甦る昭和脇役名画館』<講談社>を新たに借りる。


 帰宅後、早速『大政翼賛会前後』を読み始める。
 杉森久英が中央公論社に勤め始めた昭和14、15年頃のこと(そしてそれは、ちょうど大政翼賛会が結成される前後のことにあたる)について綴った一冊。
 余談だが、杉森さんといえば、堺正章主演のドラマに影響されて、『天皇の料理番』という小説を小学生の頃に読んだことがあるきりだった)


 企画関係の作業を進め、新しい小説について少し考える。


 グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<ともにSONY>を断続的に聴く。
 それにしても、聴けば聴くほどグレン・グールドの録音は面白い。


 夕方になって再び外出し、夕飯用の買い物をすませて帰宅する。
 寒い寒いと思っていたら、雪が降り出した。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 夕飯後、新しい小説について考え、『大政翼賛会前後』を読み進める。


 今日は、丸中製菓のしっとりはちみつケーキを食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み146円になっていたもの。
 しっとりとした口どけのケーキで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 菅内閣が改造されたが、あまりのあからさまな布陣にげんなりしてしまう。
 何事も、諦めてしまっては終わりだが。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

『神器』と『物は言いよう』を読了した(CLACLA日記)

 馬鹿者を支持する者こそが、一番の馬鹿者だ。


 今日は、お昼過ぎに外出し、COCON烏丸の京都シネマへ行く。
 京都シネマの会員の更新時期ということもあり、ちょうど時間に余裕があったので、河瀬直美監督の『玄牝(げんぴん)』を観ることにしたのだ。
 感想を前回アップしたので、詳しくはそちらのほうをご参照いただきたいが、個人的には観ておいて正解の一本だったと思う。

 上映終了後、ラクエの丸善をのぞき、大垣書店四条店で調べものをし、京都芸術センターでいくつか用件を片づけてから帰宅した。


 帰宅後、奥泉光の『神器』下<新潮社>を読了する。
 ストーリーテリングの巧さもそうだけれど、その合い間合い間に織り込まれた様々な仕掛けにも感嘆した。
(冒頭の部分から、『神器』がある有名な作品を下敷きにしているだろうことにはすぐに気づいたのだが、一人称の話者の名前がその大きなヒントとなっていることには、ようやく最後になって気づいた。全くうかつだった…)

 ほかに、斎藤美奈子の『物は言いよう』<平凡社>を読み進める。


 グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番、バッハのインヴェンションとシンフォニア<ともにSONY>を断続的に聴く。


 夕方になって、再び夕飯用の買い物のため外出する。


 夕飯後、今後の創作活動について考えたのち、『物は言いよう』を読了する。
 『物は言いよう』は、著者の斎藤美奈子自身があとがきで「実用書」と記しているが、確かに現代を生きていくにあたって、非常に実用的な一冊だと思った。
 僕も、いろいろと気づかされることがあった。


 グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第16番〜第18番<SONY>を聴く。


 今日は、Pascoのほほえみ包みしっとりつぶあんを食す。
 フレスコで、3割引、税込み70円だったもの。
 粒あん入りのあんぱんだけれど、形が円形ではなく、コッペパン形なのがミソか。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 夜になって、ますます寒さが厳しくなってきた。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『玄牝』

 京都シネマまで、河瀬直美監督の新作『玄牝(げんぴん)』を観に行って来た。
 ちょうど京都シネマの会員の更新時期で、はじめはケン・ローチ監督の『エリックを探して』を観るつもりだったのだが、予告でそれほどしっくりこなかったことに加え、上映時間が2時間近くあることもあって(体調的・生理的な問題)、『玄牝』を選んだ。

 『玄牝』は、愛知県で自然分娩にたずさわる吉村医院の吉村正院長と、そこに集う人々を描いたドキュメンタリー作品である。
 当然のことながら、出産がこの作品の中心に置かれているのだけれど、それがまた、そのまま、生きるということや死ぬということへの真摯な問いかけともなっていて、子供を出産する女性たちの姿やそれを見守る家族たち、そして吉村さんや助産婦の方たちの姿に強く心を動かされるとともに、自分自身の生や死についても深く考えさせられた。
 ただ、この『玄牝』をもって「女性にとって、やっぱり出産こそが一番で重要なものだ!」と強圧的に論じることは問題外として、単純に吉村さんたちの姿勢を賛美することに終わっては何かが違うとも思った。
(河瀬さん自身も、助産婦の方たちの言葉や吉村さんの娘さんの言葉を織り込むなど、そうした観点を忘れてはいないが)

 いずれにしても、今現在妊娠出産と直接関係するか否かは別にして、この作品を観た人たちの様々な意見を耳にしたいし、そのことについていろいろと語り合いたいと思う。
posted by figarok492na at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

内閣改造でかまびすしいが…(CLACLA日記)

 与謝野がどうこう、仙谷がどうこう、枝野がどうこうと、今日も内閣改造の話題でマスコミは大はしゃぎしている。
 顔触れが如何に変わろうと、菅内閣の政策の基本線は変わらないだろう。
 いや、与謝野が入れば、ますます消費税増税の流れは加速化するか。
 いずれにしても、TPPや沖縄の問題を含め、自民党政権の頃と大差のない(もしかしたら、それよりもひどい)政策が推し進められるような気が、僕にはする。
 もともと政権交代=民主党政権自体に大きな期待は抱いていなかったものの、ここまで「思う壺」に事が運ぶと、どうしても暗澹たる気持ちにならざるをえない。


 今日も、夕方の買い物以外は外出せずに、部屋で仕事関係や企画関係の作業を進めることにした。
 それには、やはり寒さが厳しいということが大きい。
 と、言うのも、無理に遠出をして、風邪やインフルエンザにやられるのは避けたいのだ。
 そもそも体調が芳しくないこともあって。


 奥泉光の『神器』下<新潮社>と斎藤美奈子の『物は言いよう』<平凡社>を読み進める。

 ほかに、佐藤亜紀の『醜聞の作法』<講談社>、鹿島茂の『甦る昭和脇役名画館』<同>、宍戸錠の『シシド』<新潮社>、杉森久英の『大政翼賛会前後』<文藝春秋>を、京都市図書館のインターネットサービスで予約しておいた。


 沢本歩という還暦間際の映画評論家のある一日を追った短篇小説について考える。


 昔なじみからもらったCDのうち、グレツキの作品集<NONSUCH>、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルが演奏したシベリウスの交響曲第4番&第5番と交響詩『トゥオネラの白鳥』、交響曲第6番&第7番と交響詩『タピオラ』<ドイツ・グラモフォン 2枚組>、ユッカ・ペッカ・サラステ指揮フィンランド放送交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第2番&第4番<FINLANDIA>を断続的に聴く。
 これで、昔なじみからもらったCDは、一通り聴いたことになる。

 先頃亡くなったグレツキの作品集は、もともと僕が昔なじみにあげたCDが戻ってきた形で、同じ作曲家の交響曲第3番の独唱で知られるドーン・アップショウが歌った『グッド・ナイト』が魅力的だ。

 カラヤンが指揮したシベリウスは、全て60年代に録音されたものだが、オーケストラの高度な機能性が充分に発揮された非常にスタイリッシュな演奏となっている。

 一方、サラステのほうは、オーケストラの技量という点ではどうしても弱さを感じるものの、自然な息づかいはやはり捨て難い。
 ただ、交響曲第2番のラストで盛り上がりに欠けるのは、どうにもがっくり。
 腰砕けという感じがして仕方がないのだ。


 夕飯後、企画関係の作業を進め、『神器』下と『物は言いよう』を読み進める。


 今日も、丸中製菓の大山高原の練乳ドーナツを食す。
 昨日の残りなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

予定は変わったが(CLACLA日記)

 予定はあくまでも予定であって、必ず実現されるというものではない。
 それに、予定が変われば変わったで、余った時間を有効に使うこともできる。
 実は、今日はお昼過ぎから企画関係の顔合わせを行う予定だったのだけれど、この間お世話になっている方から、先方の都合で来週の同じ曜日(19日)にどうしても延期したい、と朝電話があった。
 で、予定は未定とまでは言わないが、上述した如く、予定が全て予定通り運ぶということはないわけで、19日で承知しましたとお返事し、余った時間を『とまる。』のレビューの手直しをはじめ、仕事関係や企画関係の作業にあてた。
 顔合わせも来週に延期になった分、改めていろいろと考えることができるし、今日の予定の変更は、僕にとってはプラスになるものだったのではないか。


 奥泉光の『神器』<新潮社>の上巻を読了し、下巻を読み始める。
 ミステリーとファンタジーの要素が巧みにブレンドされていて、実に面白い。
(もちろん、ただ面白がっているってことではないけどね)

 矢野誠一の『文人たちの寄席』<白水社>も読了し、斎藤美奈子の『物は言いよう』<平凡社>を読み始める。


 昔なじみからもらったCDのうち、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第3番&第6番<EMI>、インゴ・メッツマッハー指揮ベルリン・フィル他が演奏したヘンツェの交響曲第9番のライヴ録音<同>、クロノス・カルテットとギターのパット・メセニーが演奏したスティーヴ・ライヒの作品集<NONESUCH>、トーマス・カプテン指揮エストニア放送合唱団が演奏したトルミスの『歌の橋』<FINLANDIA>、チェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチ他が演奏したクナイフェルの『ソング・オブ・ソングス<第8章>』<TELDEC>を断続的に聴く。

 ベルグルンドのシベリウスは、やはり音質の悪さが気になる。
 演奏自体は、けっこう堂に入っているのだが。

 ヘンツェの交響曲第9番は、ヘンツェの集大成というか、非常にシリアスな内容の作品で、精緻な音楽造形に感心する。
 ただし、ライヴ録音ということもあってか、音がもわもわもやもやとするのは難。

 ライヒの音楽は、いわゆるミニマリズムの典型。
 個人的には、あまり好みではない。

 トルミスの『歌の橋』は、バルト諸語とフィンランド語のフォークソングを合唱用に編曲したもので、ありきたりな表現にはなるが、北欧のコーラスの透明感あふれる清澄な歌声を存分に愉しむことができた。

 雅歌によったクナイフェルの作品は、静謐な雰囲気の音楽が強く印象に残る。


 夕飯後、今後の創作活動について考えたり、『神器』下と『物は言いよう』を読み進める。
 『物は言いよう』は、『噂の真相』に連載された文章をまとめたもので、いわゆる性差別・女性蔑視と目される発言や文章に関し、FC(フェミコード=性や性別にまつわる「あきらかにおかしな言動」「おかしいかもしれない言動」に対するイエローカード)という視点から切り込んだ一冊。
 もちろんそこは斎藤美奈子だから、ユーモラスな語り口であることはいつもの通りなのだけれど。


 今日は、丸中の大山高原の練乳ドーナツを食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み104円だったもの。
 しっとりとして口どけのよいドーナツで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 内閣改造の中身よりも、僕はTPPとやらの中身のほうがよっぽど気になるな。
 これは偏見かもしれないが、前原外相が強く推進しているということだけで、なんとも胡散臭い代物のような気がしてならない。
(実際、この協定には様々な仕掛けがほどこされているようだし)


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

ひとっことに集中して(CLACLA日記)

 先日昔なじみにも指摘されたが、同時進行で物事を進めるということが僕は苦手だ。
 もしも、あれとこれとを並行してぱぱっと片づけてしまえ、などと無理から命じられようものなら、気ばかり急いてかえって能率が落ちてしまうことまず間違いなしである。
 だから、いくつか課題があるときは、あれもこれもとつまみ喰いはせず、ひとっことに集中して一つ一つ処理していくやり方をだいたいとるようにしている。
 で、今日もそうした自分らしいやり方で物事を進めていった。

 まず、昨夜高田ひとし君から依頼のあった『とまる。』最新号のレビューの下書きとノート書き、PCへの打ち込みを2時間程度ですませてしまう。
 もちろん、〆切までに細かい直しをやっていくつもりだが、今日打ち込んだものから大きな変更はないと思う。
(実は、昨夜一度PCの打ち込みまですませたのだけれど、あまりにも内容がすかすかしていて気に入らず、改めて書き直したのだ)

 その後、昔なじみと進めている企画のための企画書(案)を書き足してから外出し、烏丸通のフェデックスキンコーズ・四条烏丸店で書類のプリントアウトをし、ハン六からすま本店で書類のコピーをすませる。
 これは、明日予定されている企画関係の顔合わせのための作業だ。

 それから夕飯用の買い物をすませ、17時35分に帰宅した。


 外出前、奥泉光の『神器』上<新潮社>と矢野誠一の『文人たちの寄席』<白水社>を読み進める。
 特に、『神器』が面白く、どんどん読み進めてしまっている。


 昔なじみからもらったCDのうち、セルジュ・チェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団が演奏したドビュッシーの夜想曲と海<ドイツ・グラモフォン>、チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルが演奏した同じくドビュッシーの海とイベリア<EMI>、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォルショネル・エ・ロマンティーク他が演奏したベルリオーズの交響曲『イタリアのハロルド』&トリスティア<PHILIPS>、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団が演奏したルロイ・アンダーソンの作品集<RCA>、パーヴォ・ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第1番&第4番<EMI>を断続的に聴く。

 チェリビダッケが指揮した2枚のドビュッシーは、まさしく「ビフォー・アフター」の趣き。
 聴きやすさ、耳なじみのよさという点ではシュトゥットガルト放送響との旧盤を挙げるべきだろうが、密度の濃さという意味ではミュンヘン・フィルのほうが断然面白い。

 ベルグルンドの指揮したシベリウスは、よい意味でオーソドックスな演奏だ。
 ただ、オーケストラの技量が若干弱いことと、音質があまりにも悪いことが難だろう。

 なお、ベルリオーズとルロイ・アンダーソンは、もともと僕が持っていたものを昔なじみにあげて、それが再び戻ってきたものだから、省略する。


 夕飯後、企画関係の作業を進め、『神器』上と『文人たちの寄席』を読み進める。

 ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第2番&第5番<EMI>を聴く。
 やはり、音質の悪さが気になる。
 同時期に録音されたというのに、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したRCAのシベリウスとどうしてこうも音質が違うのだろうか。


 イギリスの映画監督、ピーター・イエーツが亡くなった(81歳)。
 深く黙祷。


 内閣改造がどうこう、仙谷がどうこうとマスコミがかまびすしいが、正直それがどうした、それでどうなるの心境だ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月10日

世は成人の日(CLACLA日記)

 世は成人の日で休日。
 また、三連休の最終日でもあるが、こちらはクラシカル・オーケストラ京都などの企画関係や仕事関係の作業を粛々と進めた一日だった。
 それにしても、毎年成人の日になると必ず思うことだけれど、自分自身はなんと幼いことか。
 ちっとも大人に成りきれていない。
 恥ずべし。


 自分が成人の日を迎えるなんてまだまだ遠い先のことだと思っていた(いや、成人の日なんてこと自体思ってもみなかった)頃、漫才ブームが起こり、『オレたちひょうきん族』という時代の波に乗ったバラエティ番組が始まった。
 その漫才ブームや、『オレたちひょうきん族』、さらには『笑っていいとも!』の生みの親である、フジテレビの元プロデューサー、横澤彪が亡くなった(73歳)。
 後年、吉本興業に入ってからの活躍についてはあまり知らないし、今振り返って考えれば、実は横澤さんが手がけた「笑い」が僕自身の好みに合っているかも疑問ではあるのだけれど、やはり日本のバラエティ番組のあり様を大きく変えた人物の一人だったと評することはできるのではないだろうか。
 深く、深く黙祷。


 清沢洌の『暗黒日記』<評論社>を読了する。
 清沢洌に学ぶべきことは、あまりにも多い。


 夕方の買い物に出かけたほか、今日はお昼過ぎに下京図書館まで足を運び、『暗黒日記』と佐藤亜紀の『ミノタウロス』<講談社>、畠中恵の『アイスクリン強し』<同>、北村薫の『鷺と雪』<文藝春秋>を返却し、奥泉光の『神器』上・下<新潮社>、矢野誠一の『文人たちの寄席』<白水社>、斎藤美奈子の『物は言いよう』<平凡社>を新たに借りる。


 で、帰宅後早速、『神器』上と『文人たちの寄席』を読み始める。

 『神器』は、軍艦「橿原」殺人事件と副題にもあるように、太平洋戦争末期の軽巡洋艦橿原を舞台とした作品である。
 ミステリーの構造を活用して伝えたいことを伝えるという奥泉さんの作風が冒頭からよく表われていて、すぐに惹き込まれる。
 ユーモラスな文体もいい。

 一方、『文人たちの寄席』は、日本を代表する文人と寄席とのつながりについて簡潔に記された、矢野さんらしい一冊だ。


 グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番、第16番〜第18番<いずれもSONY>、サイモン・ラトル指揮バーミンガム・シティ交響楽団が演奏したシベリウスの交響曲第2番&第7番<EMI>を断続的に聴く。
 ラトルが指揮したシベリウスは、若々しさを感じる反面、性急というか、音楽の構成にぎこちなさを感じたことも否めない。

 ほかに、テオ・アンゲロプロス監督の『ユリシーズの瞳』の映画音楽のCD<ECM>も聴く。


 夕飯後、企画関係の作業を進め、『神器』上と『文人たちの寄席』を読み進める。


 クラリネットのカール・ライスターが演奏した『SOLO』というアルバム<カメラータ・トウキョウ>を聴く。
 題名通り、無伴奏のクラリネットのための作品を集めた一枚で、ストラヴィンスキーの3つの小品に始まって、ペンデレツキ、ベリオ、パガニーニ、ドビュッシーのシランクス、ドニゼッティ、メシアンと、ライスターの妙技を愉しむことができる。


 今日は、Pascoのサンドロール・いちご&ミルクを食す。
 フレスコで、3割引、税込み69円だったもの。
 いちごクリームとミルククリームを挟んだ菓子パンで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま。


 雪が降ったりと、今日も寒い一日だった。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

『鷺と雪』を読了した(CLACLA日記)

 世は三連休の二日目だが、こちらは完全オフ明けの一日。
 と、言うことで、クラシカル・オーケストラ京都など企画関係や仕事関係の作業を進める。


 北村薫の『鷺と雪』を読了した。
 二・二六事件という日本史の大きな転機の一つとなる事件に向けて、じわじわと物語が進んでいくのだが、あえて「殺人事件」ではなく、身近な、しかし人の感情の謎や揺れ、恐ろしさを感じさせる事件とも呼べない事件を散りばめているあたり、さすがは「円紫さんと私」シリーズの北村薫らしいと感心する。

 ほかに、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>を読み進める。
 日記部分は読み終え、今は、太平洋戦争中に書かれた未刊行評論を読んでいる。


 『鷺と雪』の影響を受けたこともあり、二・二六事件前日を舞台とした戯曲『櫟家の午餐会』について少し考える。


 今日は、いろいろと作業を進めていたこともあり、結局夕方の買い物以外は外出せず、部屋で過ごす。
 まあ、仕方ない。


 グレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニア、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番、第16番〜第18番<いずれもSONY>、昔なじみからもらった、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したシベリウスの交響曲第4番&第7番と交響詩『ポヒョラの娘』&『大洋の女神』、交響曲第5番と交響詩『伝説(エン・サガ)』&『タピオラ』<ともにRCA>を断続的に聴く。

 オーマンディとフィラデルフィア管によるシベリウスは、まるでキャデラックか何かに乗っているような、非常に安定して恰幅のよい演奏。
 シベリウスにしては、ちょっと立派すぎるつくりのような気がしないでもないが、これはこれで、シベリウスの一面をしっかりとらえているのではないか。
 1970年代後半のアナログ録音だが、音質的な不満は全くない。


 夕飯後、仕事関係や企画関係の作業を進め、『暗黒日記』を読み進める。


 今日も、丸京のさつま芋蒸し饅頭を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 旧知の松田裕一郎さんのお誘いを受けて、彼が出演する田上パルの公演を観に、久しぶりに東京を訪れることにした。
 交通費もなんとか捻出できそうなので、あとはスケジュールの調整をはかるばかりだ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月08日

完全オフ二日目(CLACLA日記)

 完全オフの二日目。
 晴天の陽射しのせいか、今日はほんの少しだけ寒さがやわらいだこともあり、河原町まで出かけることにした。
 と、言っても、Avisで中古CDを引き取ってもらうという大切な用事があるからでもあったのだけれど。
 で、AvisにCDを預け、査定をしてもらっている間に、ブックオフをのぞき、タワーレコードでグレン・グールドが弾いたバッハのインヴェンションとシンフォニアとベートーヴェンのピアノ・ソナタ第16番、第17番「テンペスト」、第18番<ともにSONY>を購入する。
 再びAvisに戻り、お金を受け取ったのち、JEUGIA三条本店などをのぞき、ついでに夕飯用の買い物をすませ、18時過ぎに帰宅した。


 外出前、畠中恵の『アイスクリン強し』<講談社>を読了し、北村薫の『鷺と雪』<文藝春秋>を読み始める。
 『鷺と雪』は、ベッキーさんシリーズの完結篇。
 『アイスクリン強し』に現れていた影が、昭和初期を舞台にした『鷺と雪』では非常に色濃いものになってしまっている。

 そして、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>を読み進める。
 『暗黒日記』に記されているのは、『鷺と雪』で描かれた時代のしばらくあとにやって来た事どもである。
(そういえば、清沢洌とも関係の深い冨士アイスが、『鷺と雪』の一篇目「不在の父」に登場していた)


 昔なじみからもらったCDのうち、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団他が演奏したドビュッシーの管弦楽曲集<EMI>とクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルが演奏した『プロメテウス』というタイトルのついたアルバム<SONY>を聴く。

 マルティノンのドビュッシーは名盤として知られた管弦楽曲全集から選り抜いた一枚。
 夜想曲や海、牧神の午後への前奏曲など有名どころが収められているが、非常に明快な演奏だと思う。

 一方、アバドのCDは、ベートーヴェンの『プロメテウスの創造物』抜粋にリストの交響詩『プロメテウス』、スクリャービンの交響曲第5番「プロメテウス」、ノーノの『プロメテウス』抜粋と、プロメテウスにちなんだ作品を集めたコンサートのライヴ録音。
 企画勝ちというやつか。


 帰宅後、早速グールドのCDを聴く。
 この年になって、グールドにはまっている我。


 夕飯後、『鷺と雪』と『暗黒日記』を読み進め、グールドのCDを聴く。


 今日も、丸京のさつま芋の蒸し饅頭を食す。
 卸売ひろばタカギで、新たに買っておいたもの。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 ダークダックスのメンバー、高見沢宏が亡くなったという(77歳)。
 パクさんの愛称で知られた。
 深く、深く黙祷。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月07日

完全オフ一日目(CLACLA日記)

 年末年始を仕事関係や企画関係でばたばたと送ってしまったこともあり、あえて今日と明日を「完全オフ」にして、二日間だけぐうたら、もとい、のんびりと休みにあてることに決めた。
 心身ともに、ちょっとでもリフレッシュできればと考えたのだ。
 で、完全オフ一日目の今日は、夕方の買い物以外は外出せずに、部屋で読書をしたり、CDの整理(Avisに引き取ってもらおうという算段なのだ)をしたりして、概ねゆったりと過ごす。


 読書は、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>を読み進めたほか、畠中恵の『アイスクリン強し』<講談社>を読み始める。
 畠中恵といえば、しゃばけシリーズが有名だが(年末にまとめて読んだ)、この『アイスクリン強し』は、元幕臣の血をひく西洋菓子職人皆川英次郎と警視庁の通称「若様組」らの活躍を描いたもの。
 時代背景にあわせてか、文体もしゃばけシリーズとは異なり、明治を意識したものになっている。
(戦争が物語に影を落とすあたりも含めて、もしかしたら山田風太郎の明治物に影響を受けているのかもしれない)


 昔なじみからもらったCDのうち、サイモン・ラトル指揮バーミンガム・シティ交響楽団他が演奏したマーラーの交響曲第3番他と交響曲第7番「夜の歌」<ともにEMI>、ベンジャミン・ブリテンの自作自演盤<DECCA>を断続的に聴く。

 マーラーの二つの交響曲は、ラトルが手兵バーミンガム・シティ響を駆使しきった演奏で、ところどころオーケストラの能力の限界は感じつつも、ラトルのシャープでクリアな音楽造形を愉しんだ。

 一方、ブリテンは、ロンドン交響楽団を指揮した青少年のための管弦楽入門と、イギリス室内管弦楽団を指揮したシンプル・シンフォニー&フランク・ブリッジの主題による変奏曲が収められている。
 実は、このカップリングのCDは、ずいぶん前(大学生の頃)に一度購入したことがあり、長らく愛聴盤にしていたもの。
 20年近くぶりに聴き直したが、いずれも自作自演という意味合いを超えた、優れた演奏であり録音だと思う。
 特に、弦楽オーケストラのための二つの作品では、音楽的な仕掛けや工夫を堪能した。
 イギリス室内管弦楽団の反応も見事だ。


 夕方の買い物時、小雨のような雪のようなものが降り始める。
 そりゃ、寒かろうて。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さいね。
(「ノロウイルス」禍から慌てて逃げ出す夢を観てしまったほど…)


 夕飯後、『暗黒日記』と『アイスクリン強し』を読み進め、熊谷弘指揮東京交響楽団が演奏した菅野光亮(ピアノ独奏も)のピアノと管弦楽のための組曲『宿命』<VOLCANO>とグレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY>を聴く。
 『宿命』は、松本清張原作、野村芳太郎監督の『砂の器』に使用された音楽で、映画の中では、加藤剛演じる和賀英良が作曲した作品として演奏されている。
 僕は映画を思い出しながら聴いたが、PART1の一部を除いて、非常に「甘い」音楽だ。


 今日も、丸京のさつま芋蒸し饅頭を食す。
 昨日の残りなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 内閣改造がどうのこうのとかまびすしい。
 が、茶番以下の猿芝居のようにしか思えず。

 また、アメリカでは前原外務大臣がここぞとばかり、何やかやとはしゃいでいる。
 それで総理大臣になれるつもりでいるのだろうか。
 なんともかとも。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:41| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月06日

下京図書館に行き、映画を観る(CLACLA日記)

 僕が生まれる10年ほど前に、日劇ウエスタンカーニバルなるイベントが催された。
 その日劇ウエスタンカーニバルで、一躍人気者となった歌手の一人、山下敬二郎が亡くなったという(71歳)。
 ただ、同じ「ロカビリー3人男」でも、山下敬二郎以外の二人、平尾昌晃とミッキー・カーチスならば、前者を数々のヒットナンバーと甘いマスクで、後者を個性豊かな演技でしっかり記憶しているのだが、あいにく山下さんに関しては、正直僕の中では強く印象に残っていない。
 柳家金語楼の息子ということ以外は。
 深く、深く黙祷。


 今日は、お昼過ぎ(14時ちょうど)に外出し、まずは下京図書館へ向かう。
 で、昨年暮れに借りた、斎藤美奈子の『趣味は読書。』<平凡社>、井上ひさしの『シャンハイムーン』と『箱根強羅ホテル』<集英社>、小林信彦の『日本橋バビロン』<文藝春秋>を返却し、北村薫の『鷺と雪』<同>と畠中恵の『アイスクリン強し』<講談社>を新たに借りる。
 今年は、ジャンルを問わず、できるだけ小説を読んでいこうという心積もりなのだ。
 当然、作家の好みははっきり出るだろうけれど。

 それからCOCON烏丸に移動し、京都シネマでウディ・アレン監督の新作『人生万歳!』を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 その後、大垣書店四条店で調べものをし、京都芸術センターでいくつか用件を片づけ、夕飯用の買い物をすませて、18時少し前に帰宅した。


 外出前、企画関係の作業を進め、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>と佐藤亜紀の『ミノタウロス』<講談社>を読み進める。


 昔なじみからもらったCDのうち、トランペットのチモフェイ・ドクシツェル他が演奏したアルチュニャンのトランペット協奏曲と『主題と変奏』、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番のトランペット独奏版<TRITON>、山田耕筰の自作自演集・管弦楽曲編<コロムビア>、ジョン・ランチベリー指揮フィルハーモニア管弦楽団他が演奏したケテルビーの作品集<EMI>を断続的に聴く。

 ドクシツェルのCDは、彼の朗々たるトランペットの音色と高度なテクニックを愉しむべき一枚。
 アルチュニャンもそうだけれど、彼自身が編曲したショスタコーヴィチ(ピアノも活躍)がやはり面白い。

 山田耕筰の自作自演集には、ベルリン・フィルとの『明治頌歌』、日本放送交響楽団他との交声詩曲『大陸の黎明』、東京交響楽団との『寿式三番叟の印象に拠る組曲風の祝典曲』、日本コロムビア交響楽団との『幼き日』(童謡曲をオーケストレーションしたもの)が収められているが、山田耕筰という作曲家の音楽の和洋折衷性(歴史的制約)と歌唱性がよく表われているように感じた。
 特に、邪劇臭すら漂う『大陸の黎明』が印象に残る。

 ランチベリー指揮のケテルビーは、おなじみペルシャの市場にてをはじめ、耳なじみのよい管弦楽曲を堂々とシンフォニックに演奏しきったもの。
 いわゆるライト・ミュージックにしては、ちょっとばかり立派過ぎるかも。
(ケテルビーといえば、イギリスのシャンドス・レーベルから、もっと「いかもの」臭い演奏での録音がリリーズされていたはずだ)


 夕飯後、企画関係の作業を進め、『ミノタウロス』を読了する。


 ベンジャミン・ブリテンの自作自演盤<LONDON>を聴く。
 チェロのムスティスラフ・ロストロポーヴィチが独奏したチェロ交響曲(イギリス室内管弦楽団)、シンフォニア・ダ・レクイエム(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団他)、テノールのピーター・ピアーズとバリトンのディートリヒ・フィッシャー−ディースカウが独唱者を務めたカンタータ・ミゼリコルディウム(ロンドン交響楽団他)が収められているが、いずれも見通しのよいシャープな演奏で、実に聴き応えがある。
 録音も非常にクリアだ。

 ほかに、アニー・ダルコが弾いたメンデルスゾーンの無言歌集全曲<ERATO>の2枚組のうち、後半のほうを聴く。
 前半は、昨夜寝る前に聴いておいたのだ。
 とても聴き心地のよい演奏だと思う。


 今日は、丸京のさつまいも蒸し饅頭を食す。
 卸売ひろばタカギで、税込み104円だったもの。
 さつま芋の餡の入った小ぶりな蒸し饅頭で、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ウディ・アレンの『人生万歳!』

 村上春樹は村上春樹だし、ショスタコーヴィチはショスタコーヴィチ。
 そして、ウディ・アレンはウディ・アレン。

 今日、京都シネマでウディ・アレンの最新作『人生万歳!』(記念すべき40本目の作品だそうだ)を観ていると、ふとそんな言葉が頭をよぎった。
 いや、もちろん自同律が不快の対象であることぐらい、僕だって知らないわけじゃないけれど。
 でも、劈頭、ウディ・アレンの分身としか思えないラリー・デヴィッド演じる主人公(雰囲気がウディ・アレンそっくり。話し方も)のおしゃべりを耳にしただけで、おおまた始まったと思ってしまったほどだ。

 で、京都シネマの映画案内にある「ありえないピュアな恋愛物語」のままで終わってしまえば、それこそ老人親父に都合の良すぎる妄想恋愛譚も、そこはウディ・アレン、一ひねり、どころか二ひねりで、自負と自虐、楽観と悲観が見事に入り混じった一筋縄ではいかない物語に仕立て上げている。
 セックスへの執着に、昔なつかしヒット・ナンバーやクラシック音楽(第九に運命!)の引用と、これまたウディ・アレンお得意の趣向。
 ウディ・アレン自身の老いも加わってだろう、タナトスへの傾斜や厭世感の表出も色濃いが、だからと言ってただただ悲嘆にくればかりいないあたりが、また「らしい」。
(個人的には、ウディ・アレンらしいバーバル・ギャグを愉しんだ)

 映画のほうも、戦いすんで日が暮れて、じゃない目まぐるしい一年が暮れて、新しい年を迎えたところで幕を閉じるが、まさしく脳天気に一年を始めたくない人にはぴったりの、機智と機転に富んだ一作ではないだろうか。

 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし。
 とは、ちょと違うかな。
posted by figarok492na at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月05日

企画関係の作業を進めた一日(CLACLA日記)

 今日は、午前中にこの間企画関係でお世話になっている方から電話があり、昨年末にお話をいただいていた新たな企画についての顔合わせの日取りを決める。
 まだ具体的な話はできていないものの、魅力ある企画を目指して努力していきたいと思う。


 午後からは、指揮者の本多優之さんと1時間ほど企画関係の打ち合わせを行う。
 会計面での問題の処理や、クラシカル・オーケストラ京都についての確認をすませることができた。


 その後、企画関係の書類の作成や、連絡作業を行う。


 清沢洌の『暗黒日記』<評論社>と佐藤亜紀の『ミノタウロス』<講談社>を読み進める。


 二日に顔なじみからもらったCDの中から、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団他が演奏したホルストの組曲『惑星』<EMI>と、レイモンド・レパード指揮BBC交響楽団他が演奏したティペットのコレルリの主題によるファンタジア・コンチェルタンテ&交響曲第3番<BBCクラシックス>を聴く。

 プレヴィンの『惑星』といえば、昨年ロイヤル・フィルとの新録音を購入したばかりだが、ロンドン響との旧録音は演奏がより鋭角的というか、パワフルでエネルギッシュな感じが強い。
 ただ、いかんせんリマスターのせいか音質があまりにも悪過ぎる。

 レパード指揮によるティペットは、耳なじみのよいコレルリ…よりも、交響曲第3番のほうが聴きものだと思う。
 特に、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の第4楽章の有名な「歓喜のテーマ」が何度も引用される第二部に、ティペットの意志が色濃く表われているように僕は感じた。


 夕飯後、企画関係の作業を進め連絡作業を行い、今後の創作活動について考え、『ミノタウロス』と『暗黒日記』を読み進める。
 『暗黒日記』の頃と今と何がどれだけ変わったのか。
 そのことについて、どうしても考えざるをえない。


 グリュミオー・トリオが演奏したシューベルトの弦楽3重奏曲とボザール・トリオが演奏した同じくシューベルトのピアノ3重奏曲集<PHILIPS、2枚組>を断続的に聴く。
 弦楽3重奏曲のほうは、なんと言ってもグリュミオーの艶やかなヴァイオリンの音が魅力的だ。
 一方、ボザール・トリオのピアノ・トリオは、新即物主義的というか、さくさくとした早めのテンポで進んで行く。

 ほかに、小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団が演奏したビゼーの交響曲第1番、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ&バレエ音楽『マ・メール・ロワ』<同>、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY>も聴いた。


 今日は、アンディコのJUNヒットチーズ(アイスクリーム)を食す。
 近くのセブンイレブンで、税込み55円だったもの。
 甘さがしつこくないチーズ風味のアイスクリームで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月04日

仕事始めの気持ちで(CLACLA日記)

 世は、だいたい今日か明日が仕事始めのようだ。
 僕も、今日から仕事始めという気持ちで、仕事関係や企画関係の作業を開始したが、年末年始と打ち合わせが続いていたこともあり、しっかりゆっくり休んだという気分には正直なっていない。
 できれば今週中、例えば7日の金曜日か、8日の土曜日あたり、仕事関係や企画関係の作業(連絡作業も当然含む)を一切行わない日をとりたいと思うのだけれど、やはり無理かな。


 今日は、16時少し前に友人とおち合い、近くのタリーズカフェで1時間半ほど話しをした。
 この間気になっていたことを中心に友人の話を聴くが、意志疎通というものの大切さを改めて痛感する。


 清沢洌の『暗黒日記』<評論社>を読み進め、佐藤亜紀の『ミノタウロス』<講談社>を読み始める。
 『ミノタウロス』は、冒頭からその作品世界に惹き込まれる。
 いつものことながら、佐藤さんの文章の巧みさにも舌を巻く。


 外出前、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY>のほか、フリードリヒ・グルダがニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の伴奏で弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」&第23番<TELDEC>、エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団が演奏したブルックナーの交響曲第8番<同>、エフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルが演奏したストラヴィンスキーのバレエ音楽『アゴン』&ショスタコーヴィチの交響曲第15番のライヴ録音<BMGメロディア>を断続的に聴く。

 グルダとアーノンクールのモーツァルトは、個性豊かな芸術家同士ががっぷりよつに組んだ演奏で、今聴くと、その真っ当さ具合に驚く。

 インバルのブルックナーは、第一稿による演奏(だから、コーダをはじめ、聴きなれている音楽とはいくぶん異なる)で、インバルの綿密な譜読みに感心する反面、オーケストラ・録音双方に粗さを感じもした。

 ムラヴィンスキーのCDは、ともにアクチュアリティに富んだ演奏で、ムラヴィンスキーという指揮者の特性(オーケストラの統率のあり様ばかりではなく、その音楽性や音楽への向き合い方も)がよく示されていると思う。


 夕飯後、『暗黒日記』と『ミノタウロス』を読み進め、ウラディミール・フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団が演奏したショスタコーヴィチの交響曲第1番&第15番<ポニー・キャニオン>を聴く。
 フェドセーエフとモスクワ放送交響楽団の演奏は、ショスタコーヴィチの音楽のモダン性よりも、ロシアの伝統的側面が強く表われているように感じる。


 イギリスの俳優、ピート・ポスルスウェイトが亡くなったという。
 まだ64歳だったということだが、彼が演じた役柄やその風貌もあったりして、もう少し年齢が上だと思っていた。
 朝日新聞の訃報にもある通り、『父の祈り』をや、『ユージュアル・サスペクツ』でも知られるが、個人的には、なんと言っても『ブラス!』で演じた頑固一徹といった感じの指揮者が忘れられない。
 特に、ラストでエルガーの威風堂々第1番を指揮する彼の威風堂々ぶりは今も目に焼き付いている。
(そのあと流れたエンディングのオリジナルの音楽のしょぼさ、チープさにがっくりきたんだよなあ…)
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 歌舞伎役者の中村富十郎も亡くなったそうだ。
 こちらは、81歳。
 結局、富十郎さんの生の舞台を観ることは適わなかった。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 今日は、明治のミルクチョコレートを食す。
 ドラッグゆたかのセールで、税込み68円だったもの。
 オーソドックスなチョコレートで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 年明け早々、菅直人が小沢一郎攻撃をやっている。
 果たして、そんなことで支持率が回復するものだろうか。


 物事は理屈だけでは動かない。
 特に人間関係においては。
 一連の企画を進めていく中で、そのことを痛感する。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月03日

門松は冥土の旅の一里塚…(CLACLA日記)

 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし。
 とは、一休宗純の歌であるが、今日アトリエ劇研の新春恒例・劇研寄席で京都役者落語会の面々の落語を観聴きしながら、ふとその歌のことを僕は思い出した。
 と、言うのも、岡嶋秀昭さんの『死ぬなら今』(岡嶋さんがばらまいたお年玉袋を僕も手に入れた。岡嶋さん直筆のイラストと「大吉」の文字が妙に嬉しい)に始まり、水沼健さんの『宗論』、藤原大介さんの『不精の代参』、そして中入りを挟んだ二口大学さんの『死神』と、どうしても死というものについて思いを巡らさざるをえないような内容を含んだ噺がこれでもかという具合に続いていたからだ。
 もちろん、そこは京都小劇場の役者陣の中でもとびきりの個性派ぞろいゆえ、各々の特質や魅力を活かした高座に仕立て上げていたが。
 トリは、エディ・B・アッチャマンさんで『あくび指南』。
 さらりと軽く、しかし、きちんきちんと笑いを仕掛けていた点、流石だと思う。

 開演前、中入り中、終演後に、関係各氏と話しをしたりあいさつをしたりした。

 その後、企画関係の用件をいくつかすませ、20時頃に帰宅する。


 外出前、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>と小林信彦の『日本橋バビロン』<文藝春秋>を読み進め、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY>とヘルマン・シェルヘン指揮ルガーノ・スイス・イタリア語放送管弦楽団が演奏したベートーヴェンの交響曲第4番&第5番<PLATZ>を聴く。
 シェルヘン指揮のベートーヴェンは、知る人ぞ知る1965年のライヴ録音。
 何者かに追われているかのようなやたけた感全開の演奏で、時折発せられるシェルヘンの雄叫びがますます効果を高めている。
 正直、あまり繰り返し聴きたいとは思わないが、クラシック音楽好きには一聴をお薦めしたいCDではある。


 夕飯後、『暗黒日記』を読み進め、『日本橋バビロン』を読了する。
 『日本橋バビロン』は、小林信彦の失われたものへの哀切の念と自らが受けた傷への深い怒りと憤りが、しかし淡々とした筆致で表わされた一冊だったように思う。
(第四部の「崩れる」が、この作品の肝なのではないか)

 リカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団が演奏したチャイコフスキーの交響曲第5番&『フランチェスカ・ダ・リミニ』<EMI>とダリウス・ミヨー指揮BBC交響楽団他が演奏したサティの『びっくり箱』(ミヨー編曲)、ミヨー自身のインディアナのための音楽、交響曲第10番、バレエ音楽『男とその欲望』<BBCクラシックス>を聴く。
 ムーティは劇的感覚と歌唱性に満ちた演奏。
 若干融通のきかなさが聴き受けられる交響曲より、『フランチェスコ・ダ・リミニ』のほうが、一層ムーティの柄に合っているのではないか。
 フィラデルフィア管も達者だ。
 一方、ミヨーは、1970年にBBCの放送用にスタジオ録音された音源をCD化したもの。
 演奏・作品ともに、とっちらかった感じが否めず、聴いていてどうにも落ち着かない。
 ミヨーらしいっちゃミヨーらしいのだけれど。


 2011年も、もう三日が過ぎた。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妄想映画館『みすずかる』(1960年、東映東京)

『みすずかる』(1960年、東映東京)


 監督:今井正
 脚本:水木洋子、中瀬八郎


*物語

 昭和10年、特高刑事溝呂木(伊藤雄之助)の硬軟織り交ぜた取り調べに転向を余儀なくされた帝大生下総信一(江原真二郎)は、義兄で民憲党代議士の相馬(宮口精二)から、自らの選挙区である長野県の某市の実地調査を勧められる。
 そこで信一は信州の農民の現状を知るとともに、地元の名士高遠祝(加藤嘉)の娘美鈴(中原ひとみ)と出会う。
 そして、いつしか二人は深く愛情を抱きあう仲となる。
 祝も、誠実な信一の真情を認め、二人の恋を黙認する。
 ところがそんなとき、祝が急な病に倒れてしまう。
 信一と美鈴の親密な様子を快く思っていなかった美鈴の継母富子(長岡輝子)は、この機に乗じて前々から持ち込まれていた北畠伯爵(三國連太郎)との縁談を強引に押し進める。
 一方、信一も友人の活動家高城(木村功)から預かった文書のために、再び特高警察に追われる身となる。
 追い詰められた二人は、信濃川に身を投じようとするが、北畠伯爵と溝呂木らによってそれも阻まれる。

 それから10年の歳月が流れ、南方から奇跡的に復員した信一は、美鈴が農地解放運動の先頭に立っていることを高城より知らされる。
 10年ぶりに長野を訪れた信一は、美鈴と強く手を取り合うのだった。
posted by figarok492na at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 妄想映画館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

打ち合わせで、帰宅が遅くなった(深夜のCLACLA)

 ここ数年、年末年始という気分がとみになくなってきているのだけれど、今年はその感が特に強い。
 昨年は、暮の暮まで企画関係の作業を進めていたし、年が変わってからも、なにやかやとゆっくりぐったりすることなしに動き回っている。
 今日も12時50分に外出し、洛西方面に住む昔なじみの家を訪れ、彼の親しくしている女性と三人で、仕事関係や企画関係の打ち合わせを中心に、結局8時間から9時間ほど話しを続けていた。
 まあ、途中毎度のことながら脱線脱線の連続で、我ながらだら話をし過ぎたなと反省もするのだけれど、そういうだら話の中に、仕事や企画、創作活動を進めていく上での大きな鍵もあったりして、一概に脱線を否定できないという気にもなる。
 また、いわゆるつまみ観ではあったが、小林旭と吉永小百合主演、野村孝監督の『黒い傷あとのブルース』や市川雷蔵主演、森一生監督の『ある殺し屋』、田宮二郎と近藤正臣主演、増村保造監督の『動脈列島』などのDVDに、最新のシステムで接することができたのも収穫だった。
(加えて、2枚組も含め、なんと41枚にも及ぶクラシック音楽のCDをわけてもらったが、これについては、これからちょこちょこと記していこうと思う)

 23時43分に帰宅する。
 夜の冷え込みの厳しいこと厳しいこと。


 外出前に、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>と小林信彦の『日本橋バビロン』<文藝春秋>を読み進め、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」〜第10番<SONY>を聴く。
 ちなみに、『日本橋バビロン』の第三部「木漏れ日の戦時下」と『暗黒日記』は、密接な関係にある。


 以上、2011年1月2日の日記。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

一年の計は元旦にあり(CLACLA日記)

 一年の計は元旦にあり、という。
 今日から2011年が始まったが、この一年をどのような一年にしていきたいか、またいくべきかということをじっくりと考えた。
 まずは、自分自身が為したいと思うこと、そして、為すべきと思うことを、焦らず一歩一歩着実に実現させる一年にしたい。
 それは、現在進めている一連の企画についてもそうだし、昨年後半はほとんど手つかずで終わってしまった創作活動についてもそうだ。
 与えられた人生は一度きりなのだから、一日一日を大切にしながら悔いのない人生を歩んでいかなければならない。
 また、自分自身の欠点問題点弱点を少しでも改めていくとともに、他者に対しても寛容でありたいと強く思う。
(ただし、相手が誰であっても、それが間違いではないかと思ったことに関しては、きちんと反対の声を上げないといけないとも思うが)
 加えて、物事を俯瞰して観るというのか、社会的な諸状況に対して、一時のムードに流されず、冷静に判断していきたいとも考える。
 もちろん、思ったこと考えたことが、すぐさま現実のものになるわけではない。
 けれど、だからこそ、一年の初めに思ったこと考えたことを噛み締めながら、この一年を過ごしていきたい。


 年が明け、実家に電話をかけて父、母と新年のあいさつをしたり(今年で両親も70歳だ)、いくつか雑件を片づけたのち、清沢洌の『暗黒日記』<評論社>を読み始めたのも、上述した自分自身の一年の計と大きく関わっているように思う。
 戦時下の日本で日々記され続けた清沢洌の日記は、単に資史料としてばかりではなく、現代の日本に生きる僕(ら)の今後のあり様を考える上でも、大きな価値を持っているのではないだろうか。
 少なくとも、この『暗黒日記』を読みながら、僕は自分自身の表現活動について、現在の諸状況との向き合い方について、考えていくつもりだ。


 朝方5時近くまでいろいろと作業を進めていたこともあり、目が醒めたのは11時50分になってからだった。
 それからすぐに、毎週恒例の洗濯を始める。
 天気予報に反して、いいお天気、いい青空だったからだけれど、正午過ぎ頃からどんどんどんよりとし始め、夕方には雪混じりの雨まで降り出した。
 こういう天気予報の当たり方は、正直嫌だな。


 年賀状を書き、『暗黒日記』を読み進め、小林信彦の『日本橋バビロン』<文藝春秋>を読み始めたのち、15時54分になって外出する。
 仕事関係や企画関係でどうしても片づけておきたい用件があったためだが、ついでにタワーレコードで、グレン・グールドが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番〜第10番<SONY>を購入した。
 セールで、税込み790円になっていたCDで、LP発売時と同じカップリング、同じジャケット(ブックレット)写真を使用というのも、個人的には非常に嬉しい。
 ほかにも欲しいCDはいくつかあったが、今日のところは、これ一枚で我慢しておくことにする。
 その後、3号系統の市バスで壬生寺道まで戻り、元祇園梛神社で遅めの初詣をすませ、18時54分に帰宅した。


 帰宅後、早速グレン・グールドのCDを聴く。
 大好きなソナタ第10番の第1楽章をはじめ、グールドらしい疾走するベートーヴェン(演奏)だと思う。


 少し遅い夕飯後、『暗黒日記』と『日本橋バビロン』を読み進める。
 『日本橋バビロン』は、小林信彦が生まれ育った<日本橋>という土地と、自らの生家(立花屋という和菓子屋)、自らの家族(祖父、父)について記した一冊だ。


 新年早々、高峰秀子が昨年の12月28日に亡くなっていたことを朝日新聞の訃報で知った。86歳。
 今さら繰り返すまでもないが、デコちゃんの愛称で知られた高峰秀子は、木下惠介監督との『カルメン故郷に帰る』や『二十四の瞳』、成瀬巳喜男監督との『稲妻』や『浮雲』、『乱れる』をはじめ、日本の映画界を代表するスターの一人として、数多くの名作佳作に出演した。
 また、俳優引退後、積極的な文筆活動を行ったが、その演技とも通底する芯の強さ、背筋がしゃんと伸びたような感じが強く印象に残る。
 なお、高峰さんの出演作の中から、子役時代の彼女がかわいい山本嘉次郎監督の『綴方教室』と、太平洋戦争直前にもかかわらずアメリカ文化の影響の色濃さに驚かされる千葉泰樹監督の『秀子の応援団長』を、僕はあえて挙げておきたい。
 深く、深く、深く、深く、深く黙祷。


 今日は、デザートランドのなめらかシュークリームを食す。
 ファミリーマートで、税込み105円だったもの。
 とろりと柔らかいカスタードクリームがたっぷり入ったシュークリームで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!


 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:53| Comment(2) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする