2010年04月19日

暖かくなると、今度は眠たくなるもんだ(CLACLA日記)

 気温が上昇したと思ったら、またぞろぽわんぽわんと強い眠気に襲われるようになった。
 頭がぼおっとしたり身体が重だるかったりするから、もしかしたらヒノキの花粉の影響もあるのかもしれないけれど。
 いずれにしても、眠い眠い!


 昨夜、指揮者の本多優之さんから電話があり、今後の企画についてなど一時間ほど話しをする。

 その後、吉田秀和の『くりかえし聴く、くりかえし読む 新・音楽展望 1997−1999』<朝日新聞社>と坪内祐三の『文庫本を狙え!』<晶文社>を読み進めたり、仕事関係の作業をしたりしたのち、3時16分に消灯する。

 10時15分に起きる。

 バリトンのオラフ・ベーアとハンス・フォンク指揮シュターツカペレ・ドレスデンが演奏したモーツァルトのオペラ・アリア集<EMI>を聴きながら、『くりかえし聴く、くりかえし読む』と『文庫本を狙え!』を読み進めたり、いくつか雑件を片づけたりする。

 続けて、ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィル他が演奏したモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』ハイライト<DECCA>を聴きながら、少しだけうとうとしたり、ブログなどに『長崎日記・中』をアップしたりする。
 ハイライトだけで判断するのは早計に過ぎるかもしれないが、この『フィガロの結婚』は、シャープで流れのよいショルティ&ロンドン・フィルと伸びがあって艶やかなルチア・ポップのスザンナが聴きものだと僕は思う。

 さらに、ペーター・ノイマン指揮コレギウム・カルトゥジアヌム、ケルン室内合唱団他が演奏したモーツァルトの戴冠式ミサ曲他<EMI>を聴く。
 独唱、合唱ともに粒ぞろいで、教会ソナタの挿入も適切なのではないか。
 それにしても、ケルン滞在中、ノイマンとこの団体の実演に接することをしなかったのは、本当に残念でならない。

 16時14分に外出し、近くの銀行に寄ったあと、グルメシティ、フレスコ、西洞院のSHOP99で夕飯用の買い物をすませ、17時13分に帰宅した。

 今日は、どんよりとしたお天気の一日。
 雨降りになるか?

 先日応募しておいた京都市立堀川音楽高等学校のオープニングコンサートウィーク(旧知の通崎睦美さんの分)だが、「定員を超えましたので誠に申し訳ございませんが、お断りさせて頂きます」との返信がある。
 残念だけれど、先着順ゆえ仕方がない。

 帰宅後、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団管楽アンサンブルが演奏したモーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」&第12番「ナハトムジーク」<ハルモニアムンディ・フランス>を聴きながら、いくつか雑件を片づける。

 続けて、ハーゲン・カルテットが演奏したモーツァルトの弦楽4重奏曲第20番「ホフマイスター」<ドイツ・グラモフォン>を聴きながら、『くりかえし聴く、くりかえし読む』と『文庫本を狙え!』を読み進める。

 夕飯後、リナルド・アレッサンドリーニ指揮ノルウェー国立歌劇場管弦楽団が演奏したモーツァルトの序曲集<naïve>を聴きながら、『くりかえし聴く、くりかえし読む』と『文庫本を狙え!』を読み進めたり、『山中貞雄餘話』の今後の展開について考えたりする。

>(前略)ウィーンを始めヨーロッパの中心都市に至るまで、流行とは距(へだた)りのある服をきていても、耳の肥えた、経験豊かなきき上手という感じの人がいるもので、そういう人の存在は批判力のある伝統の厚みを支えていて、経済の浮沈にもかなりの抵抗力をもっている<
(『くりかえし聴く、くりかえし読む』所収、「「金のかかる芸」とは」より)

 続けて、オーボエのアルブレヒト・マイヤーとクラウディオ・アバド指揮マーラー・チェンバー・オーケストラが演奏したモーツァルトのオーボエ協奏曲他<ドイツ・グラモフォン>を聴きながら、『魔王』の挿入部分の今後の展開について考える。

 今日も、COOPの厚切りバウムクーヘンを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 なんでもかんでも好き勝手なことをいやあいいってもんじゃあるまいに!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長崎日記・中

☆4月14日(水)

 一枚の写真に写されたある人物の姿から、その人の思想人格趣味識見来し方行く末の全てをずばり言い当てることなどとうていできるわけがない。
 もしそんなことができると言い張る人がいるならば、その人は相当気が違っているか、単なる嘘つきか、あるいはその両方のどれかだろう。

 が、しかし、一枚の写真に写されたある人物の姿から、その人(あわせて写した人)の生気や精気、勢気や性気、さらには凄気や聖気の一端を感じ取ることもまたできるのではないか。
 少なくとも僕は、一枚の写真から様々なイメージを膨らませ、そこに写し取られたひと、もの、ことについて想い考えることが大好きで仕方がない。
 まして、自分自身が直接目にし触れることのできない、過去のひと、もの、ことについての写真ならばなおさらだ。

 そんな僕の好みにぴったりの写真展がちょうど長崎で開催されていることを、13日の帰りのバスの広告で知ったので、迷わず足を運ぶことにした。
 桜町公園前のバス停から歩いてすぐのところにある長崎歴史文化博物館、その3階企画展示室で開かれている『幕末長崎古写真展 龍馬と彦馬 維新のまなざし』がそれで、NHKの大河ドラマ『龍馬伝』にあやかったとおぼしきサブタイトルには、嘘ではないけど若干こじつけ気味かなと感じたことも事実だが、やはりこれは観ておいて正解の写真展だった。
(そういえば、NHKの地元の番組で、龍馬姿の福山雅治さんを目にしたが、福山さんは本当に若いなあ。実は、福山さんは淵中学校の一学年先輩にあたるんだけど、彼のほうは早生まれだから、実際は同い年なのだ。彼と我との違い。ああ…)

 副題にもあるように、今回の写真展では日本初の写真家の一人上野彦馬(とその弟子)が撮影した写真のほか、医学を教えるために当時長崎に滞在していたオランダ人アントニウス・フランシスカス・ボードイン(弟は駐日オランダ領事)の撮影したものもあわせて展示されていて、幕末や明治初期に生きた武士や町民(その中にはもちろん女性も含まれる)、外国からの客人たちの姿や、そのころの長崎の風景に、ときに心がなごみ、ときに圧倒される。

 そこには、坂本龍馬をはじめ、岩崎弥太郎や陸奥宗光といった歴史上有名な人々の写真もあって、それはそれで興味深かったのだが、個人的には名もない人たち(例えば、上野彦馬の指示に従ってだろう、慣れぬポーズを決める町人や女性たち)の写真により引き付けられた。

 それと、写真の中心で撮影されると魂が抜かれるという迷信を真に受けたものか、真ん中に位置している人の顔が削り取られている写真が何枚もあったことや、上野彦馬が二重写しなど技巧的な試みを積極的に行っていたことも、僕には面白かった。

 ただ、写真に付けられた解説には、時々おやと思うものも含まれていた。
 特に、大大名と推測されている一枚は、他のコーナーに展示されている上野彦馬の弟子井上俊三と同一人物ではないだろうか?
(これは、何度か見比べての感想である)

 いずれにしても、たった500円でこれだけの写真に触れることができるのであれば、全く文句はない。
 5月31日まで開催中(開催期間は休館日はなし)で、歴史好きの人以外にもなべてお薦めしたい。
(僕個人としては、この写真展を観たあと、ぜひとも平和資料館などで被爆直後の長崎のひと、もの、ことを確認してもらいたいと思う。幕末・明治初期の長崎と、8月9日の長崎とがどうつながり、どう切断されているのかを考えるよいきっかけになるはずだと、僕は思うからだ)


 この日は、長崎歴史文化博物館に向かう前に、近くの桜町小学校内にある入場無料のサント・ドミンゴ教会跡資料館をのぞき、写真展のあとは浜町まで二日続けて出て、もみおこしがあったこともあってマッサージセンター西濱で50分ほどマッサージをしてもらったりもした。
 サント・ドミンゴ教会跡資料館は、江戸時代初期に建てられたサント・ドミンゴ教会、さらにその跡地に建てられた末次高木両長崎代官屋敷に関する資料館で、教会時代の「用途不明の大型石組地下室」というものに、想像力をかきたてられた。
 また、マッサージセンター西濱では丁寧なマッサージを受けることができた。
posted by figarok492na at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする