2010年01月31日

今日で1月も終わり(CLACLA日記)

 今日で、2010年1月も終わり。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。


 昨夜は、岡部長章の『ある侍従の回想記』<朝日ソノラマ>を読み進めて第11章の「昭和天皇の「お疲れのお姿」」と第12章の「記憶に残る奉仕者たちの素顔」を読み終えたりしたのち、3時16分に消灯する。
 『ある侍従の回想記』では、『側近日誌』を公開した元侍従次長の木下道雄への厳しい評価が興味深い。
>(木下道雄の)話ぶりに少々エキセントリックな感じを受けました。神がかりでもあるように思いました<
>私は、木下氏の『側近日誌』を読みながら、もうひとつ本当のことが書かれていないのではないかと思いました<

 身体が少しだるかったこともあり、起きたのはなんと13時24分になってから。
 ああ。

 あとがきと、保阪正康の解説を読み終えて、『ある侍従の回想記』を読了した。
 この一冊は読んでおいて本当によかった。

 続けて、小田部雄次の『華族』<中公新書>を読み始め、第1章の「華族の成立」までを読み終えた。
 いろいろと学ぶところあり。

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きを行う。

 『山中貞雄作品集』3<実業之日本社>を読み進め、『人情紙風船』のシナリオを読み終えた。
 『人情紙風船』を観たいなあ。

 『不在証明』の筆入れ(第1回目)をようやく最後まで終える。
 が、まだまだだ。

 『山中貞雄餘話』のちょっとした打ち直しを行う。

 世界の室内オーケストラに関する調査を進める。

 18時5分に外出し、夕飯用の買い物をすませて、18時39分に帰宅した。

 夕飯後、『華族』を読み進める。

 『山中貞雄作品集』3も読み進め、雑感、陣中日誌を読み終えた。

 1月の創作活動に関する総括を行う。
 為すべきことをしっかり為していかないと。

 今日も、ココナッツビスケットを食す。
 昨日の残りなり。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 そして、2月がいい月でありますように!!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月30日

批評信ずべし、信ずべからず(CLACLA日記)

 批評信ずべし、信ずべからず。


 昨夜は、岡部長章の『ある侍従の回想記』<朝日ソノラマ>を読み進め第4章の「宮中のしきたりと私の日々」を読み終えたり、加藤浩次の吠え魂を聴きながらいくつか雑件を片づけたのち、2時52分に消灯する。

 9時11分に起きて、すぐさま毎週恒例の洗濯を始める。
 いいお天気、いい青空が続いていたため。

 その間、近くのグルメシティまで買い物に出かけ、9時57分に帰宅した。

 『ある侍従の回想記』を断続的に読み進め、第5章の「帝王学に忠実な昭和天皇」、第6章の「日米開戦前夜の宮中」、第7章の「敗戦の空気を感じつつのお勤め」を読み終えた。
 いろいろと興味深い記述が続いているのだが、個人的には、著者が安岡正篤に対してあまり好意的ではない(ふくみのある)評価を行っている点が面白かった。

 正午過ぎに、浴室とトイレの掃除をすませる。

 『山中貞雄作品集』3<実業之日本社>を読み進め、『戦国群盗伝』のシナリオを読み終えた。
 ゲーテの『群盗』の翻案である『戦国群盗伝』は、滝沢英輔監督によって映画化されており、筒井康隆の『不良少年の映画史(全)』<文春文庫>でも一章が割かれている。

 世界の室内オーケストラに関する調査を行う。


 16時1分に外出し、京都芸術センターへ。
 いくつか用件を片づけたほか、図書室で『テアトロ』2月号を読んだりもする。
 重ねて、批評家信ずべし、信ずべからず、である。

 その後、大垣書店四条店で、新潮社の『波』2月号を入手し、再び京都芸術センターに寄り、夕飯の買い物をすませて17時55分に帰宅した。

 そういえば、大垣書店四条店にぴあのステーションができるそうだが(2月2日から)、ここでも座席指定はできないとのこと。
 正直、クラシック音楽好きには座席を選べないというだけで利用する気にはなれない。
 たぶん係の人間の手間を省こうという意味合いが大きいのだろうが、芦屋交響楽団や京都大学音楽部交響楽団といったとうしろうの座席指定制度じゃあるまいし、なんなんだろうなあ。
 まあ、利用しなければいいことだけど。


 帰宅後、早速『波』の春風亭小朝と吉川潮の対談の続きを読む。
 学ぶところ、少なからず。

 夕飯後、『ある侍従の回想記』を読み進め、第8章の「新侍従長への私の提言」、第9章の「録音盤奪取事件での知恵」、第10章の「敗戦の日、昭和天皇の表情」を読み終えた。
 著者の、木戸幸一や入江相政に対する厳しい評価が強く印象に残る。

 『山中貞雄作品集』3も読み進め、『森の石松』のシナリオを読み終えた。

 今日は、スイートボックスのココナッツビスケットを食す。
 近くのダイソーで購入したもの。
 訥弁の雄弁というか、お菓子自体はそれほど美味しくないんだけど、ついつい食べ進めてしまうんだよなあ。
 不思議なり。
 ごちそうさま!

 一月も残すところあと一日。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月29日

もう花粉が飛んでいるのか?(CLACLA日記)

 いいお天気、いい青空の一日。
 日中は気温もそれなりに上昇し穏やかな感じだったが、外出時、目に少しかゆみを覚えたりもする。
 もしかして、もう花粉が飛び始めているのか?
 そういえば、首筋ががさついたりもしているしなあ。
 やだなあ。


 昨夜は、ナイナイのオールナイトニッポンを聴きながらいくつか雑件を片づけたのち、2時53分に消灯する。

 目ざましをセットし忘れ、気がつけば11時18分。
 ああ…。

 『不在証明』の筆入れを進める。

 世界の室内オーケストラに関する調査を行う。


 15時15分に外出する。

 まず下京図書館へ行って、『山中貞雄作品集』2<実業之日本社>と加藤泰の『映画監督山中貞雄』<キネマ旬報社>を返却し、予約しておいた『山中貞雄作品集』3<実業之日本社>と小田部雄次の『華族』<中公新書>、そして岡部長章の『ある侍従の回想記』<朝日ソノラマ>を借りる。

 その後急な用件が入ってそれを片づけ、19時25分に帰宅した。

 移動中、『ある侍従の回想記』を読み始める。
「激動時代の昭和天皇」と副題にあるように、著者が昭和天皇の侍従の職にあった1936年(昭和十一年)から1946年(昭和二十一年)の間を中心に記された一冊だ。

 帰りがけに観た月がとても美しかった。


 夕方以降の冷え込みが非常に厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 事情があって、非常に不味い夕飯となる。
 選択を間違えてしまったのだ。
 やれやれ。

 夕飯後、『ある侍従の回想記』を読み進め、第3章の「侍従が見た昭和天皇の生活」まで読み終えた。

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きも行う。

 『山中貞雄作品集』3を読み始め、『街の入墨者』のシナリオ(未完)を読み終えた。

 ついでに、その『街の入墨者』を効果的に使った、筒井康隆の短篇『CINEMAレベル9』(『夜のコント・冬のコント』<新潮文庫>所収)を再読する。
 余談だが、「兵庫県は日本でもいちばん地震の少ない県だ」という一文がどうしても辛い。
(この作品は、小説新潮1987年11月号が初出なのだ)

 それにしても、筒井康隆ならずとも『街の入墨者』を観てみたい。
 どこかにフィルムが残っていないものか!

 『山中貞雄餘話』のちょっとした手直しを行う。

 今日も、甘いものは食さず。
 ああ、甘いものを食べたいなあ。

 四条河原町の阪急がこの秋閉店するとのこと。
 これは、ショックだ。

 アメリカの作家、J・D・サリンジャーが亡くなった。91歳。
 なんと言っても、『ライ麦畑でつかまえて』か。
 僕自身は、高校時代にちらと読んだことがあるだけで、村上春樹の新訳も読んでいないが。
 深く、深く黙祷。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月28日

どうにも自堕落な感じのする一日(CLACLA日記)

 どうにも自堕落な感じのする一日。
 特に、15時台まではだらだらだらだらとして、度し難し。
 与えられた人生は一回きりなのだ。
 ひとときひとときを大切にしていかなければ。


 昨夜は、加藤泰の『映画監督山中貞雄』<キネマ旬報社>を読み進め「20 立ちこめる厭世のにおい」を読み終えたり、いくつか雑件を片づけたりしたのち、ようやく3時55分になって消灯する。

 で、起きたのは11時35分。
 ああ。

 昨夜、シャワーを浴びることができなかったこともあり、身体中がなんともしっくりこない。

 「21 戦場へ、今ぞ出で立つ父母の国」、「22 二十八歳と十ヶ月の最期へ」、並びに山中貞雄年譜とあとがきを読み終え、『映画監督山中貞雄』を読了した。
>ぼくが、いま思うことはただ一つ、どうして山中貞雄みたいな、こんないい男が、こんなことで死ななければならなかったのか、そのことである<
 という最後(この本の原稿を書き終えてから加藤さんは五ヶ月後に亡くなっているわけだから、もしかしたら最期)の一文に、加藤泰のこみ上げるような想いが強く表われていると思う。

 ところで、小津安二郎監督の『東京物語』の中の、原節子の「ずるいんです」という有名な台詞には、もしかしたら小津安二郎の山中貞雄への想いもこめられているのではないか?

 『山中貞雄作品集』2<実業之日本社>を読み進め、『河内山宗俊』のシナリオを読み終えた。

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きを行う。

 ネットラジオで、マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
 ルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲とチャイコフスキーの交響曲第5番が放送されていたが、いずれもオーケストラの醍醐味を満喫させてくれる演奏だった。
 てか、これは生で聴きたかった!


 18時26分に外出。
 まず、ファミリーマート四条大宮店で週刊文春の小林信彦の連載エッセイ(だけ)を立ち読みする。
 今回は、先日亡くなった映画評論家の双葉十三郎を追悼した内容だったのだけれど、今現在双葉さんに関してこれだけ詳しく語れる人物は、小林信彦ぐらいなのではないか。

 その後、グルメシティとフレスコで夕飯用の買い物をすませて、18時59分に帰宅した。


 夕飯後、『海鳴り街道』のシナリオなどを読み終え、『山中貞雄作品集』2を読了した。

 京都市図書館のインターネットサービスで、千田稔の『華族総覧』<講談社現代新書>と小田部雄次の『華族』<中公新書>を予約しておく。
 いずれも、『山中貞雄餘話』のためのものなり。

 今日も、甘いものは食さず。

 兵庫県明石市の歩道橋事故(2001年)に関し、神戸第二検察審査会が明石署の元副署長を起訴すべきとする議決をしたという。
 これにより、元副署長が強制起訴されるとも。

 俳優の夏夕介が亡くなった。59歳。
 夏さんといえば、『宇宙鉄人キョーダイン』、そして『特捜最前線』の叶刑事ということになるだろうか。
 深く、深く、深く黙祷。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:16| Comment(2) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

それを引用しちゃおしまいよ(深夜のCLACLA)

 27日付朝日新聞朝刊の天声人語で、戦前、国体をめぐる国会の論議において、ときの岡田啓介首相が憲法第1条を盾に野党(政友会)の攻撃をかわしたことを、現在の鳩山内閣の姿勢とからめる形で引用しているのだけれど、このからめ方は果たしてどうなんだろう。
 少なくとも、この国体をめぐる論議というのは、美濃部達吉教授のいわゆる天皇機関説をめぐる論議(それにからめて、穏健派の一木喜徳郎枢密院議長を追い落とし、岡田内閣をゆさぶろうとする策謀)だったわけで、そういう部分の説明をすっとばしてここだけを引用するのは、あまりにも浅薄に過ぎると僕は思うのだが。
 それこそ、同じ日の天声人語にある「それを言っちゃあおしまいよ」ならぬ、それを引用しちゃおしまいよ、ではないのか?
 結局のところ、この天皇機関説排撃のころから、マスコミの質というのはちっとも変っていないってことなんだろうな、きっと。
(なお、岡田啓介首相の国会でのこの発言は、原田熊雄述の『西園寺公と政局』<岩波書店>でも詳しく触れられていたはずだ)


 昨夜は、爆笑問題カーボーイを聴きながらいくつか用件を片づけたのち、2時43分に消灯する。

 9時47分に起きる。

 加藤泰の『映画監督山中貞雄』<キネマ旬報社>を読み進め、「16 鳴滝組と友情のきずな」、「17 生涯最良の年」、「18 前進座への惚れ込み」、「19 謎に満ちた言葉」を読み終えた。

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きを行う。

 『山中貞雄作品集』2<実業之日本社>を読み進め、『丹下左膳余話 百万両の壺』のシナリオを読み終えた。
 この作品は実際に映画を観たことがあるだけに、なおさらのこと面白い。

 ところで、同じ作品集に入った『国定忠次』のシナリオの中の、国定忠次が官憲に追われる場面を読みながら、当時はこういった場面が現在想像する以上にアクチュアリティを持ったのだろうなとふと思う。


 13時57分に外出し、郵便局などで用件を片づけたのち、COCON烏丸の京都シネマへ。
 京都シネマの会員の更新をすませてから、『誰がため』を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 上映終了後、西洞院のSHOP99で夕飯用の買い物をすませてから、17時35分に帰宅する。


 急な用件が入り、夕飯を早めにすませて19時15分に外出し、いろいろとあって、23時50分に帰宅した。


 以上、2010年1月27日の日記。


 今日が、いい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月27日

誰がため

 時代も違えば状況も違う、出てくる人間もてんでばらばら。
 そんな全く脈絡のない作品に続けて触れるのも映画の愉しみ方ではあるが、逆に、同時代似たような状況を描いた作品に続けて触れるのもまた、映画の愉しみ方の一つなのではないか。
 京都シネマでオーレ・クリスチャン・マセン監督の『誰がため』(FLAMMEN & CITRONEN)を観ながら、ふとそんなことを思った。

 と、言うのも、この『誰がため』の内容が、先日同じ京都シネマで観た『カティンの森』と大きく重なり合うものだったからである。
 そう、『誰がため』も『カティンの森』同様、第二次世界大戦中、他国(ナチス・ドイツ)に自国(デンマーク)を占領された中で起こった実際の出来事をテーマとした作品なのだ。
(だから、そうそう簡単に愉しんでばかりもいられないのだけれど)

 で、『誰がため』は、ナチス・ドイツ占領下、抵抗運動に加わり、戦後祖国から英雄として讃えられもしたフラマンとシトロンという二人の人物の、これまで語られてこなかった本当の姿を描いた作品となっている。
 作品の根幹にもかかわってくることもあり、ここではあえて詳しく述べないけれど、厳しい歴史的状況とナチス・ドイツへのレジスタンスという大義に動かされた彼らが、様々な裏切りによって傷つき、破滅に向かって進んでいく姿がストレートに表わされた展開となっていて、生理的な意味合いを除けば、2時間を超える上映時間もそれほど長く感じることはなかった。
 また、この作品の大義と暴力との関係への問いが、現在を生きる我々にとって全く他人事ではない問題であるということも充分に納得がいった。

 ただ、二人の主人公をドラマティックに描き上げるという視点に、どこかアメリカのニューシネマ的な雰囲気を感じたことも事実で(予告編で感じたほどハリウッド調ではなかったものの)、個人的には、歴史的な事実を克明に丹念に刻み込もうという強い意志をより感じる『カティンの森』のほうに一層シンパシーを覚えたことは明記しておきたい。
 それと、これは史実に基づいた作品だから仕方ないこととはいえ、主人公らレジスタンスの側の人々がデンマークとスウェーデンの間を行き来したりするなど、切迫感や緊張感に若干水を差される想いがしたことも付け加えておきたい。
(自由に行き来できるのにも関わらず、彼らがデンマーク国内に残ったことの重みは充分に承知しつつも)

 俳優陣では、主人公のトゥーレ・リンハートとマッツ・ミケルセンの熱演を当然挙げるべきだろうが、いわゆるファムファタル的な存在であるケティーを演じたスティーネ・スティーンゲーゼ、ゲシュタポの高官を演じたクリスチャン・ベルケルも強く印象に残った。
posted by figarok492na at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月26日

小さく近きところから(CLACLA日記)

 理想を高く掲げることと、大義を大上段に振りかざして自らの地位を押し上げようとすることとを間違えてはならないと痛感する。
 そして、まずは近きところから始めなければならないとも痛感する。


 昨夜は、伊集院光の深夜の馬鹿力を聴きながら雑件を片づけたのち、2時52分に消灯する。

 8時48分に起きる。

 10時2分に外出し、近くの銀行や郵便局で用件をすませ、10時18分に帰宅する。

 『不在証明』の筆入れを進める。

 正午過ぎに、浴室とトイレの掃除をすませる。

 加藤泰の『映画監督山中貞雄』<キネマ旬報社>を読み進め、「10 初監督−鉄則への反逆」、「11 伝統的映像美学の誕生」、「12 批評家の肩入れ」、「13 トーキーへ、日活へ」を読み終える。

 『山中貞雄作品集』2<実業之日本社>も読み進め、『国定忠次(シナリオ採録)』を読み終える。


 15時48分に再び外出し、京都芸術センターへ行っていくつか用件を片づける。

 それから、大垣書店四条店で『レコード芸術』と『音楽現代』の2月号の「座り読み」をしたのち、再び京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませて帰宅した。


 友だちから連絡があって18時58分に外出し、しばらく話をしたあと、20時33分に帰宅した。

 今日も寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 遅めの夕飯後、『映画監督山中貞雄』を読み進め、「14 期待は裏切られても」、「15 東京、湯河原、横浜本牧」を読み終えた。
 ところで、山中貞雄監督の『盤獄の一生』には、当然ハリウッドの作品の影響もあるだろうけれど、白井喬二の原作には、ヴォルテールの『カンディド』が影響を与えているのではないか?

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きを行う。

 ミステリー作家の北森鴻が亡くなった。まだ48歳だった。
 深く、深く黙祷。

 今日は、夕方の外出時にシュークリームを食した。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月25日

信ずべし信ずべからず(CLACLA日記)

 結局のところ、何事も「信ずべし信ずべからず」なんじゃないだろうか。


 3時33分に消灯し、11時30分に起きる。
 本当は9時台に起きるつもりだったのが、目ざましをセットし忘れたのだ。
 ああ…。


 急な用件が入って、13時56分に外出する。

 で、用件をすませたのち、地下鉄で五条まで移動し、下京図書館で予約しておいた『山中貞雄作品集』2<実業之日本社>を借りる。

 その後、西洞院のSHOP99とグルメシティで夕飯用の買い物をすませて、16時13分に帰宅した。


 小雨ぱらつく、どんよりとしたお天気の一日。

 気温も低く、じめじめじめじめとじめ寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 帰宅後、加藤泰の『映画監督山中貞雄』<キネマ旬報社>を読み進め、「6 マキノの昼行燈」まで読み終えた。

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きも行う。

 『山中貞雄作品集』2を読み始め、『雁太郎街道』のシナリオを読み終えた。

 夕飯後、『映画監督山中貞雄』を読み進め、「7 ダメ助監督の一大決心」、「8 書いて飲んで書きまくって」、「9 忠節は活動写真にも」を読み終えた。

 ついでに、『山中貞雄餘話』のためのノート書きも行う。

 『山中貞雄作品集』2も読み進め、『国定忠次』のシナリオを読み終えた。

 『不在証明』の筆入れを進める。

 為すべきことをしっかり為していかなければ。

 今日は、甘いものは食さず。

 体調、あまり芳しからず。
 首、肩、背中のこり、はり、痛みもひどし。
 やれやれ。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月24日

Who's Who(CLACLA日記)

 住民代表住民代表って言うけれど、いったいどんな住民の代表なんだろうか。
 ふとそんなことを考える。

 死んでる俺は俺だけど、抱いてる俺は誰なんだ?


 3時35分に消灯し、10時4分に起きる。

 いいお天気、いい青空だったこともあり、午前のうちに毎週恒例の洗濯をすませる。


 13時10分に外出し、まずは下京図書館へ。
 予約したままになっていた、加藤泰の『映画監督山中貞雄』<キネマ旬報社>を借りる。

 地下鉄で北山まで行って、京都コンサートホールで予約しておいた京都市交響楽団のスプリングコンサートのチケットを購入する。

 そこから歩いてアトリエ劇研へ。
 ルドルフ×このしたやみのチェーホフ一幕劇同時上演企画『熊』(アントン・チェーホフ作、筒井加寿子さん=ルドルフ、山口浩章さん=このしたやみ、各演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 旧知の中筋朋さんと久しぶりに会い、開演前、休憩中、終演後と話をしたほか、開演前終演後、山口浩章さん、二口大学さん、岩田由紀さん、筒井加寿子さんらと話をしたり、あいさつをしたりする。

 繰り返しになるけど、ボルシチを食べておけばよかった!!

 バスで河原町まで出、トーカイ三条河原町店で阪急の切符を買い、オーエスドラッグ三条店で買い物をし、JEUGIA三条本店に寄って、阪急で大宮まで戻る。
 で、グルメシティで夕飯用の買い物をすませ、18時18分に帰宅した。

 地下鉄で移動中と、『熊』の開演前に『映画監督山中貞雄』を読み進め、「1 山中貞雄とぼく」を読み終えた。
 なお、映画監督として活躍した著者の加藤泰にとって、山中貞雄は母方の叔父にあたる。

 夕飯後、『映画監督山中貞雄』をさらに読み進め、「2 おばあちゃん」を読み終えた。

 四幕物の戯曲『櫟家の午餐会』のアイデアを少しだけ考える。
 新劇調というか、華族の家を舞台にした本格的な戯曲を書いてみたいのだ。
 って蓋を開けたらブールバール劇の出来そこない然としたものになってそうだけど…。

 今日は、甘いものは食さず。
 その代わり、カール復刻版しおあじを食す。
 オーエスドラッグで、税込み68円になっていたもの。
 1982年に発売されたものの復刻版で、あっさりした味だった。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 名護市長選挙で、米軍基地移設反対派の稲嶺達候補(新人)が当選したとのこと。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ルドルフ×このしたやみの『熊』

☆ルドルフ×このしたやみ チェーホフ一幕劇同時上演企画『熊』


 チェーホフの一幕物『熊』をルドルフとこのしたやみの二つのグループが演じ分けるという一粒で二度美味しい企画を観に、アトリエ劇研まで行って来た。
(なお、チェーホフの『熊』は、とある未亡人のもとに借金を返してもらうべく男が訪ねて来て「返せ」「返せない」で決闘騒ぎとなるが…、といった内容のファルスである)

 まずは、筒井加寿子さんの演出によるルドルフから。
 筒井さん率いるルドルフの面々が演じたチェーホフは、一昨年11月のC.T.T.試演会で『結婚申し込み』を観て、演出家としての筒井さんの賢しさと明晰さを高く評価する反面、筒井さんの特性とチェーホフの本質がどこかあってないんじゃないかと指摘したことがあったのだけれど、今回の『熊』では、そうした面はそうした面として、筒井さんの狙いが一層明確になっていたこともあり、充分に納得がいくものとなっていた。
 それは、一言で表わすならば、うる星やつら調『熊』とでも呼ぶべきか。
 登場人物がどたばたじたばたを繰り返す中、虚と実、実と虚がめまぐるしく交差して、観る側がひっぱられ突き放され感じ考えるのりに展開。
 まさしく、動くよー、変わるよー、ひっくり返るよー。
 もちろん、筒井さんのテキストの読み込みは、前回以上の鋭さで、作品の持つ様々な要素や仕掛けを巧く突いていたと思う。
 岩田由紀さんと駒田大輔さんは、C.T.T.の試演会にも出演していたが、そこでの経験が今回の公演によく活きていたのではないか。
 激しい感情の変化など、筒井さんの演出によく沿った演技を行っていた。
 また、中嶋やすきさんのような人が京都の小劇場界に存在するというのは、やはり大きいなとも感じたりした。
 テンポを初めとした細部の詰めなど、いくつか気になる点もなくはなかったが、そうした部分も今後公演を重ねることで解消されていくことだろう。
 適うことならば、めぞん一刻調『かもめ』や『ワーニャおじさん』、『三人姉妹』、『桜の園』も観てみたい。
 筒井さん、ぜひ。

 休憩後の後半は、山口浩章さんの演出によるこのしたやみの『熊』。
 こちらは、登場人物を二口大学さんと広田ゆうみさんだけにしぼった二人芝居。
 あいにく、京都府立文化芸術会館での2007年の公演は観ることができなかったのだが、山口さん自身公演パンフレットに記しているように、その際と今回とでは少なからず演出が変わっているようだった。
 むろん、エロス・タナトスのタナトスや閉塞感、コミュニケーションの断絶(僕は、バルトークの『青ひげ公の城』を想起する)等々、山口さんの解釈の肝となるべき部分は、今回の上演でもしっかりと表わされていたと思うのだけれど、それらが笑いに結びついて、おかしな味わいを醸し出していたことも、僕には興味深かった。
(その意味で、山口さんが今後どのような作品を取り上げていくか、非常に気になるところだ)
 また、二口さんの語り口や演じようもあって、落語や歌舞伎の世話物らしさを感じたこともやはり付け加えておきたい。
 ライヴらしい傷がなくはなかったが、演者陣では、まずもって二口大学さんの熱演が強く印象に残る。
 一方、広田ゆうみさんでは、彼女の後ろ姿が忘れられない。

 いずれにしても、こういう一粒で二度美味しい企画が今後も繰り返し行われていくことを、僕は心から期待したい。
(一粒で二度不味くっちゃ困るけどね)

 そうそう、場面転換のため20分間の休憩があったんだけど、そのときボルシチや黒パンなんかが売られていたのは、ヨーロッパの劇場やホールなんかみたいで、ちょっと嬉しかった。
 てか、ボルシチ食べときゃよかった!!
posted by figarok492na at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 観劇記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年1月23日の日記(深夜のCLACLA)

 昨夜は、加藤浩次の吠え魂を聴いたりしながらいくつか雑件を片づけたのち、3時16分に消灯する。

 9時46分に起きて、掃除機かけなどをすませる。

 10時23分に外出し、グルメシティなどで買い物をしたのち、10時46分に帰宅する。

 帰宅後、朝昼兼用の食事をすませる。

 京都コンサートホールに電話をし、京都市交響楽団のスプリングコンサートのチケットを予約する。
 発売初日で押さえておいたのだ。
(「お金がないくせに!」、と呼ぶ声あり。さいざんす…)

 今後の創作活動について考える。

 朝日新聞のサイト、アスパラクラブで応募しておいた「高橋真琴の夢とロマン展」の招待券が当たる。
 さて、誰と観に行こうかな?


 12時43分に外出し、阪急で桂へ。
 そこから洛西方面へのバスに乗り、昔なじみの家で依頼されていたシナリオ関係の打ち合わせ(話)をする。
 今回は昔なじみ本人ではなく、彼の親友の作品についての打ち合わせ(話)だった。
 話をしながら、反省するところ、刺激を受けるところ多々あり。

 結局、23時過ぎに洛西を出て、23時50分に帰宅した。

 途中、夕飯をごちそうになる。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!


 夜になっての冷え込みが、非常に厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 以上、2010年1月23日の日記なり。


 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月22日

簡単な日記(CLACLA日記)

 昨夜は、ナイナイのオールナイトニッポンを聴きながらいくつか雑件を片づけたのち、3時25分に消灯する。

 本当は早めに目醒めていたのだが、右膝の痛みもあって寝床の中であれこれ作業をする。
 起きたのは、11時46分になってから。

 『盤獄の一生』、『鼠小僧次郎吉 前篇(江戸の巻)』、『風流活人剣』、並びに佐藤忠男の解説を読み終え、『山中貞雄作品集』1<実業之日本社>を読了した。
 いやあ、本当に面白かった。
 そして、刺激を受けるところ大だった。
 山中貞雄のシナリオには学ぶべき点が多々あると思う。

 依頼されていたシナリオに関する作業を進める。

 日本全国のコンサートホールに関する調べものをする。


 右膝の痛みが少し治まってきたこともあり、17時50分に外出し、四条通の金券ショップ・トーカイ四条烏丸店で切符を買ってから地下鉄で北山まで行き、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第531回定期演奏会を聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 で、西洞院のSHOP99で買い物をしてから、22時13分に帰宅した。

 帰り道に観た月がとても美しかった。


 寒い一日。
 特に、夜の冷え込みが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 今日は、甘いものは食さず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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京都市交響楽団第531回定期演奏会

 ☆京都市交響楽団第531回定期演奏会

  指揮:外山雄三
  独奏:ガブリエル・リプキン(チェロ)

  会場:京都コンサートホール大ホール
  座席:3階LE1列5番(休憩前)、同LB1列6番(休憩後)


 昨夜の大阪フィルのゲン直し、右膝の調子はいまひとつだったのだけれど、自分のセンサーがぴぴっと働いたこともあって、京都コンサートホールまで京都市交響楽団の定期演奏会を聴きに行って来た。

 指揮は、かつて京都市交響楽団の第4代常任指揮者を務めた外山雄三。
 岩城宏之、若杉弘と亡くなり、小澤征爾も食道癌のため療養中の今、一人気を吐くといっても過言でないのが、この外山雄三ではないか。

 で、一曲目は、フォーレの組曲『ペレアスとメリザンド』。
 どちらかといえば新古典派的なすっきりめの演奏を予想していたら、案に相違して厚い響きのする懐かしい感じの音楽づくりとなっていた。
 有名なシシリエンヌ(フルート・ソロの清水信貴が見事)をはじめ、旋律の美しさが強調されていたと思うが、少々昔の映画音楽のように聴こえたことも事実である。
(こういう季節だから仕方ないとはいえ、弱音のときの「ごほごほ」はなんとかならないものか…)

 続く、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番では、なんと言ってもガブリエル・リプキンのソロが光る。
 艶やかで流麗、なおかつドラマティックな演奏で、その容姿も含めて「エロス」(やらしい意味とちゃいまっせ)を強く感じた。
(そうしたリプキンの魅力は、アンコールの2曲、デュポーの練習曲第7番とバッハの無伴奏チェロ組曲第3番からブーレで、ひときわ表わされていたのではないか。ともに、ぞくっとする演奏だった)
 一方、外山雄三と京響は手堅い伴奏を行っていたと思う。

 休憩後のショスタコーヴィチの交響曲第10番は、外山雄三の十八番の一つ。
(公演プログラムによると、外山さんと京都市交響楽団によるこの曲は、1968年6月の第106回定期演奏会以来だから、なんと42年ぶりの演奏ということになる。また、1991年5月の第334回定期演奏会で井上道義の指揮で演奏されたこの曲を僕は聴いている)
 昨年7月の大野和士の指揮による交響曲第5番が抉り掘り下げる演奏だったとすれば、さしずめ今回のショスタコーヴィチは、ぎゅっと締めて強く固める演奏とでも評することができるのではないだろうか。
 一月のエンタメ情報でも記したように、若干「鋼鉄はいかに鍛えられたか」式の古めかしさが感じられないではなかったものの、その分、作品の持つ時代性や世界観がよく示されていたようにも思った。
 特に、フォルテッシモでの(よい意味での)教条主義的な音の炸裂ぶりや、弦楽器のぎりぎりきりきりする感じの迫真性は、外山さんならではのものだろう。
 ホルンをはじめ、管、打、弦なべて京響の面々も、外山雄三の解釈によく沿った演奏を行っていて、間然とするところがなかった。

 いずれにしても、ゲン直しにはぴったりのコンサートだった。
 重畳重畳。
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2010年01月21日

膝を捻ってしまった…(CLACLA日記)

 前回の記事でも記したように、ザ・シンフォニーホール目指してあちこち走り回っていて、右膝をぐきっと捻ってしまう。
 痛いの痛くないの、いや本当に本当に痛いの。
 って、痛風の発作じゃないだろうな…。
(明日の京都市交響楽団の定期演奏会は膝の調子いかんだな。今日のコンサートが中途半端だっただけに、ゲン直しをしておきたいのだが)


 昨夜は、2時50分に消灯する。

 目ざましをセットし忘れ、起きたのは11時14分になってから。
 ここのところ睡眠時間が5時間台だったからなあ…。

 千葉伸夫の『評伝山中貞雄』<平凡社ライブラリー>を読了する。
 著者の山中貞雄に対する深い想いがぐっと伝わってきたこともあり、強く心の動いた一冊だった。
 それと、黒木和雄監督の解説を読んでいて、彼が山中貞雄に関する作品の準備中に亡くなったことを思い出した。
 そういえば、シナリオは松田正隆さんだったんだ。
 黒木監督の急逝が残念でならない。

 同時に、『山中貞雄餘話』のためのノート書きをする。

 13時台に、浴室とトイレの掃除をすませる。

 『山中貞雄作品集』1<実業之日本社>を読み進め、『薩摩飛脚 後篇』のシナリオを読み終えた。
 やっぱり面白し。


 17時19分になって外出し、近くの金券ショップ・トーカイで切符を買ってから、阪急で梅田へ。

 そこからいろいろとあり、なんとかザ・シンフォニーホールまで行って大阪フィルの第434回定期演奏会の後半だけを聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 それにしても、どうにも悔しいなあ。
 もうあと一本早い電車に乗れていればなあ。

 近くのフレスコで買い物をして、22時22分に帰宅した。


 帰宅後、かっとなって、今日のコンサートのプログラムを二つに裂いて捨ててしまった。
 こんな中途半端にしか聴けなかったコンサートのプログラムなどいらぬわ、という感じで。
 まあ、いいや。

 日中は穏やかな感じだったが、夕方以降冷え込みが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 今日も、甘いものは食さず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大阪フィル第434回定期(後半のみ)

 ☆大阪フィルハーモニー交響楽団第434回定期演奏会(後半のみ)

  指揮:尾高忠明

  会場:ザ・シンフォニーホール
  座席:2階LE列17番


 JR大阪駅付近の再開発なんてしょせん他人事、どんどん勝手にやってくれ!
 と、思っていたのが運のつき、そんな資本主義のスクラップアンドビルディングの魔の手に当方まんまとひっかかってしまった。
 いつもの如く、阪急を梅田で降りて、なんたろカメラの前を通ってザ・シンフォニーホールまで歩いて行こうとしたら、あれあれどうやら勝手が違う。
 で、こちらは行き止まり、あちらは反対側、とどんどん迷っているうちに、なんたること阪急の中津駅近辺まで出てしまい、近所の人に尋ねてみたものの、これがまた天下のザ・シンフォニーホールを知らぬというていたらく、結局阪急で梅田まで戻り、環状線で福島まで行って、ようやくザ・シンフォニーホールに着いた。
 最初梅田には18時14分に着いたのだが、ホールに入ったときはすでに19時5分。
 と、言うことで、一曲目のエルガーの『海の絵』はモニターで観聴きするはめにあいなりそうろう。
 まあ、メインのエルガー交響曲第2番が聴きたくて選んだコンサートだから、それが聴けただけでもよしとしなくちゃいけないんだけれど。
 でも、なんだかねえ。
 新年早々、げんが悪いや。
(あとで教えてもらったが、中津からザ・シンフォニーホールまでは歩いて行けるし、少しややこしくはあったが、梅田までも歩いて帰れた。ああ…)

 さて、エルガーの交響曲第2番は、今回指揮台に上がった尾高忠明にとって自家薬籠中の一曲。
 緩急のつけ具合、メリハリのきかせ具合、さらに旋律の歌わせ具合には、一日、どころか何日もの長があり、特に第2楽章の弦が歌う箇所や、終楽章のコーダの夕陽がゆっくりと沈んでいくような様など、流石と思わされた。
 ただ一方で、強奏の部分では、若干肌理の粗さを感じたし、全体的に一層精度が高ければと感じたことも事実だ。
 それには、ゆったりとした気分で音楽を愉しむことのできなかった自分自身の問題もあるのだけれど。

 いずれにしても、すこぶる残念なコンサートだった。
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2010年01月20日

大寒の日なれど(CLACLA日記)

 大寒の日。
 なれど、気温はけっこう上昇し、穏やかな一日となる。
 明日以降は、また冷え込むらしいが。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。


 昨夜は、爆笑問題カーボーイを聴きながらいくつか雑件を片づけたのち、3時11分に消灯する。

 8時39分に起きる。

 断続的に、千葉伸夫の『評伝山中貞雄』<平凡社ライブラリー>を読み進め、第四章の「栄光 昭和十年」まで読み終えた。

 同じく、断続的に、『山中貞雄作品集』1<実業之日本社>も読み進め、『武蔵旅日記』、『抱寝の長脇差』、『口笛を吹く武士』、『帯解け仏法』のシナリオを読み終えた。
 面白し面白し。

 上述、二冊の本を読みながら、新しい小説のためのノート書きを行う。
 なお、新しい小説のタイトルを『山中貞雄餘話』とすることにした。

 日本全国のコンサートホールに関し、いろいろと調べものをする。

 16時50分に外出し、グルメシティで夕飯用の買い物をすませたのち、17時13分には帰宅した。
 土曜日からずっと遠出していたことと、明日の晩も大阪フィルの定期演奏会を聴きに大阪まで出る予定にしていることもあって。

 夕飯後、『評伝山中貞雄』を読み進め、第五章の「スランプ 昭和十一年 二十七歳」まで読み終えた。
 本文にもあるように、山中貞雄と黒澤明は、わずか四ヶ月しか違わなかったのだ。
 ああ。

 本を読みながら、『山中貞雄餘話』のためのノート書きを行う。

 コンサートに関する調べものを進める。

 日本航空が破綻し、会社更生法の適用を申請したという。
 『沈まぬ太陽』という言葉が、あまりにも哀しい。

 今日は、甘いものは食さず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

変な夢にも道理はある(CLACLA日記)

 明け方、筒井康隆に緒形拳、西村雅彦、そして自分の四人で、どこからどう見ても納谷六朗の顔をしたボリス・チャイコフスキーと井川遥の夫妻の部屋を訪ね、全く味のしないブランデーかウォッカを飲んでいるうちに筒井康隆にだめ出しを受けるという、どうにも変わった夢を観た。
 で、これはいったいなんのことだろう、と目醒めてから考えているうちに、そういえば筒井康隆が『山中貞雄作品集』を読んだことがなかったっけと思い出し、彼の『日日不穏』<中公文庫>をつまみ再読したところ、やっぱりそうだった。
 筒井康隆、山中貞雄の作品集を読んで、そのシナリオを絶賛していたのである。
 なるほど、夢の中とはいえ、だめ出しを受けるはずだ。


 昨夜は、伊集院光の深夜の馬鹿力を聴きながら雑件を片づけたのち、3時8分に消灯する。

 8時50分に起き、掃除機かけをすませる。

 断続的に、千葉伸夫の『評伝山中貞雄』<平凡社ライブラリー>を読み進め、第三章の「昭和九年 トーキーへの道」の途中まで読み終える。

 『山中貞雄作品集』1<実業之日本社>も読み進め、『なりひら小僧』と『恋と十手と巾着切』のシナリオを読み終える。
 面白し面白し。

 二冊の本を読みながら、新しい小説のためのノート書きも行う。

 依頼されていた、シナリオに関する仕事を進める。

 14時34分に外出し、いくつか大切な用件を片づけ、19時51分に帰宅した。

 いいお天気、いい青空の一日。
 気温もそれなりに上昇し、寒さが和らぐ。

 少し遅めの夕飯後、『評伝山中貞雄』を読み進める。

 ついでに、新しい小説のためのノート書きも行う。

 タレントのミッキー安川が亡くなった。76歳。
 黙祷。

 今日は、外出中にケーキを食す。
 実に美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月18日

山中貞雄づく(CLACLA日記)

 テレビやマスコミはいったい誰のもの…。
 なんて歌があったっけ。
 そんなの決まってるじゃないか。
 って、冷笑主義には陥りたくないものだ。

 絶望とは虚妄である、希望がそうであるように。


 昨夜は、ブログをアップしたり、雑件を片づけたり、千葉伸夫の『評伝山中貞雄』<平凡社ライブラリー>を読み始めたりしたのち、3時21分に消灯する。

 10時24分に起きる。

 朝昼兼用の食事をすませてから、シャワーを浴びる。
 昨夜は、結局浴びそびれてしまったのだ。
 ああ、すっきりした!

 『評伝山中貞雄』を読み進め、第一章の「映画修業」までを読み終えた。

 『山中貞雄作品集』1<実業之日本社>を読み始め、『中村仲蔵』のシナリオを読み終えた。
 『中村仲蔵』は、初代中村仲蔵がそれまで脇役端役だった『仮名手本忠臣蔵』の斧定九郎を現在のような重要な役柄へと変えたという落語でもおなじみのエピソードをアレンジした作品である。
 学ぶところ少なからず。

 上述2冊の本を読みながら、新しい小説のためのノート書きも行う。
 山中貞雄に関する情報などほとんどなかったにもかかわらず、こちらが勝手にひねくり出した架空の人物の設定と山中貞雄の人生とけっこう重なり合うところがあって、ちょっと嬉しくなる。
 さあ、どんどんノートしていくぞ!


 17時8分に外出し、JEUGIA四条店へ。
 『ぶらあぼ』2月号を入手したほか、このお店で以前アルバイトをしていたときに非常にお世話になったクラシック担当の福田さんとしばらく話をすることができた。

 それから、大垣四条店で『音楽の友』2月号を「座り読み」し、京都芸術センターでいくつか用件を片づけ、18時58分に帰宅する。

 が、急な用件があり、19時13分に再び外出し、歩いて河原町へ。
 で、用件を片づけたのち、21時25分に帰宅した。


 帰宅後、遅めの夕飯をすませる。

 今日は、甘いものは食さず。

 歌手の浅川マキが亡くなった。67歳。
 深く、深く、深く黙祷。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年1月17日の日記(深夜のCLACLA)

 阪神大震災から15年が経った。
 全ての犠牲者に、深く、深く、深く、深く黙祷。

 ハイチの大地震の全ての犠牲者にも、深く、深く、深く、深く黙祷。


 2時30分に消灯し、10時2分に起きる。

 気温は低めだったが、いいお天気、いい青空だったので、迷わず毎週恒例の洗濯を午前のうちにすませる。
 ついでに、掃除機かけもすませる。

 『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読了した。

 正午過ぎに、浴室とトイレの掃除をすませる。

 『不在証明』の筆入れを進める。


 15時27分に外出し、まずは下京図書館へ。
 『花田清輝全集』第一巻、鈴木秀美の「『古楽器』よ、さらば!」<音楽之友社>、許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>を返却し、予約しておいた『山中貞雄作品集』1<実業之日本社>と千葉伸夫の『評伝山中貞雄』<平凡社ライブラリー>を新たに借りる。

 地下鉄の四条駅から松ヶ崎駅まで移動する。
 松ヶ崎駅のホームで、藤本隆志さんと遭遇し少し話をする。
 その後、改札を出たところで今度は金乃梨子さんと遭遇しあいさつをする。

 歩いてアトリエ劇研まで移動し、劇研アクターズラボ+正直者の会 鉄人漁船『plant』(田中遊さん作・演出)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。

 終演後に、出演者の板倉真弓さんや西塔友美さんと少し話をしたほか、開演前に杉山準さんや豊島由香さんらと少し話をした。

 終演後、別の用件があって、いろいろと移動し、23時10分に帰宅した。


 移動中、『評伝山中貞雄』を読み始め、少しだけ読み進める。

 帰りがけ、歩きながら観た、夜空の星がとても美しかった。

 外出中、ホットチョコレートパイを食し、帰宅後、ブルボンのココナッツクッキーを食す。
 ともに、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 プロ野球の巨人、阪神の元投手で、日本ハムのコーチを務めていた小林繁が亡くなった。57歳。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 気がつけば、もうこんな時間。
 今日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 02:12| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇研アクターズラボ+正直者の会 鉄人漁船『plant』

 確かに、ひとかどのファッションモデルを目指すなら既成の服だろうがなんだろうがさも自分のために仕立てられたかの如く着こなしてみせる必要がある、という言葉には一理ある。
 だが、まさかプラナリアじゃあるまいし、出来あいの服を四つに裂いて八つに分けてみたものを継ぎ接ぎ継ぎ接ぎ継ぎ接ぎさせて、さあこれを着てみろさもなくばファッションモデルにはなれぬぞ、などとすごんでみせることほど無理無体な話もあるまい。
 いくらひとかどのファッションモデルを目指すとはいえ、いや、ひとかどのファッションモデルを目指すからこそ、オーダーメイド、自分自身のために丁寧に仕立てられた服をしっかりと着こなしていくことが大事…。
 なんてことを、劇研アクターズラボ+正直者の会 鉄人漁船『plant』(田中遊さん作・演出)を観ながらふと思ったりした。

 てか、舞台上の演者陣の熱の入った演技を観ながら、「いっしょにやってみたいや、うらやましい!」と思った、というのが、もっと率直で掛け値なしの僕の感想である。
(「俺にもできるぜ、こんちくしょう!」なんて、ありおりだべりえらそがりの感想じゃないところが重要な点だ)

 今回の『plant』は、上述の如く、これまでの劇研アクターズラボの公演クラスの発表会という形式を改め、田中遊さんの正直者の会と劇研アクターズラボの面々による鉄人漁船というグループのコラボレーション企画として上演されたものだが、準備期間を半年から一年に延長したことや、田中さん自身のオリジナル台本を使用したことなどもあって、大きな成果を生み出していたように、僕には感じられた。

 特に、例えばこれまでコメディエンヌとしての才能ばかりが優先されがちだった西塔友美さんの別の魅力をクローズアップするなど、個々の演者の特性や特質を見抜いた上で、各々に相応しい役柄を与え、演技を引き出していた点(言い換えれば彼女彼らと真摯に真正面から向き合っていた点)で、田中遊さんの今回の作業は高く評価されてしかるべきだと思う。
 それは作家として演出家として当たり前のこととはいえ、僕は田中さんに深い敬意を表したい。

 また、演者間での様々な差や演者個々での今後の課題はありつつも、そうしたテキストを積極的に咀嚼し、一人一人の登場人物を活き活きと演じ切っていた全ての出演者にも、単なる努力や奮闘以上の拍手を捧げたい。

 加えて、僕は『plant』という作品・テキストそのものにも大きな手応えを感じた。
 田中さんらしい、実験的な要素や物語的な仕掛けの巧みさは言わずもがなだけれど、そうした実験や仕掛けが単純な知的遊戯に終わるのではなく、田中さん自身の伝えようとすること、痛切な想いとしっかり結びついていたところに、僕は強く心を動かされた。
 途中、緊張が途切れかかった箇所がないわけではなかったが、全体的にみて、非常に納得がいき、満足のいく作品だった。

 あと、モーツァルトやバッハの効果的な引用が強く印象に残る音響の奥村朋代さん、照明の川島玲子さんも、作品の世界観によく合っていたのではないだろうか。

 そうそう、この公演を観て、やっぱりお芝居っていいなと思った、というのも、率直で掛け値なしの僕の感想だ。
 本当にお芝居っていいな。
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2010年01月16日

帝人事件を思い出した(CLACLA日記)

 昨年末に、原田熊雄述の『西園寺公と政局』<岩波書店>を読み終えていたこともあってか、ふと帝人事件のことを思い出してしまった。
 そういえば、西園寺公望や原田熊雄は、当時の新聞雑誌(今でいうマスコミ)の低俗低劣ぶりを何度も厳しく批判していたのだった。
 むろん、表現の自由はなんとしてでも守られなければならない。
 だが、表現の自由なんて本当にあるのか?
 少なくとも、今、この時代に。

 声優の田の中勇が亡くなった。77歳。
 田の中さんといえば、どうしても『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじということになって、僕自身すぐに「おい、鬼太郎」というあの声あのフレーズを思い出したのだけれど、『天才バカボン』の本官さん(初代)を演じていたのも、この田の中さんなのだった。
 『ゲゲゲの鬼太郎』の特集だったか、オールナイトニッポンの特別番組で田の中さんがはじけていたような気がするが、これは思い違いかな?
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜、母から電話がある。
 多謝。

 2時15分に消灯するも、金曜JUNK、加藤浩次の吠え魂を聴きながら3時ごろまで考えごとをしている。
(吠え魂をきちんと聴いたのは昨夜が初めてだったけど、けっこう面白かった。加藤さんが娘さんの話題をしているのも、なにかいい)

 10時15分に起き、掃除機かけをすませる。

 『不在証明』の筆入れを進め、今後の創作活動について考える。


 12時39分に外出し、近くの金券ショップ・トーカイで切符を買ってから、阪急で西宮北口へ。
 で、兵庫県立芸術文化センター小ホールでコンチェルト・コペンハーゲンのコンサートを聴く。
 詳しくは、前回の記事をご参照のほど。
 いやあ、愉しかった。
 大満足なり。
(コンサート自体は大満足だったけど、開場前の守衛さんの無愛想な態度はちょっと不愉快。大銀行の地下金庫じゃあるまいし、あんな素っ気ないむすっとした態度はないだろう。あと、ここは開場前にトイレに行くのが面倒なんだよね。加えて、舞台後方の席に行く途中やけに通りにくい場所あり。いずれもお役所仕事ゆえ?)

 終演後、せっかくだからと、同じ小ホールで2月27日に予定されている、クリスティアン・ベズイデンホウトのフォルテピアノ・リサイタルのチケットを購入しておく。
 これまた愉しみだ。

 阪急で大宮まで戻り、グルメシティで夕飯用の買い物をすませてから、18時23分に帰宅した。


 今日も寒さが厳しい。
 寒い寒い寒い寒い。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 夕飯後、吉田裕の『昭和天皇の終戦史』<岩波新書>のつまみ再読をする。

 今日は、甘いものは食さず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:35| Comment(2) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

コンチェルト・コペンハーゲンの来日公演に大満足

 ☆コンチェルト・コペンハーゲン(古楽の愉しみ)

  会場:兵庫県立芸術文化センター小ホール
  座席:1階PA列12番


 クラシック音楽を聴き始めたころのあたりが悪かったのか、正直言ってバッハという作曲家に対し若干苦手意識がある。
 バッハとヘンデル、どちらをとるかと問われれば、僕は断然ヘンデルをとるし、たとえロバの耳と後ろ指を指されようと、バッハはバッハでも息子のヨハン・クリスティアンの口当たり柔らかな音楽のほうがよっぽど好みに合っている。
 と、言っても、ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽は一切受けつけない、誰が聴くかい接するかい、というようなアンチ・バッハの原理主義者ではないわけで、音楽の捧げものを聴いたらほほうっと感嘆するし、ゴルトベルク変奏曲を聴いたらあまりの愉しさに眠気もひょひょいとすっとんでしまうし、マタイとヨハネの両受難曲を聴いたら心がどどんと打ち震えてしまうこともまた事実。
 まあ、そこが相当、ではなく、若干苦手意識と記した理由でもあるのだけれど。

 で、デンマーク出身のチェンバリスト、ラース・ウルリク・モルテンセン率いるピリオド楽器アンサンブル、コンチェルト・コペンハーゲンが、コーヒー・カンタータと農民カンタータというバッハの二つの世俗カンタータをプログラムの中心に組んだコンサートを催すというので兵庫県立芸術センターまで足を運んだのも、そんな中瀬宏之の融通無碍さの表われ、じゃない常日頃のイメージとは異なる愉しいバッハが聴けそうだったから。
 ちなみに二つのカンタータ、コーヒー・カンタータ=カンタータ第211番『そっと黙って、おしゃべりしないで』のほうは、娘が当節流行りのコーヒーにのめりこんで親父怒るもどうにもならず(今風に言い換えれば、娘が携帯のメールに夢中で親父注意するもどうにもならず)といった内容で、農民カンタータ=カンタータ第212番『うちの新しい領主様』のほうは、新しい領主へのお祝いにこと寄せて農民生活のあれやこれやを歌い上げていくといった社会派喜劇タッチの内容。
 つまるところ、どちらも教会カンタータとは丸きり反対の、世俗も世俗、とびっきり俗っぽい内容だ。

 実際、これは足を運んで大正解のコンサートだった。
 まずは、youtubeで一応確認ずみだったソプラノ独唱のマリア・ケオハナが素晴らしかった。
 若き日のバーバラ・ボニーを彷彿とさせるような、清澄で伸びがあって、なおかつコケティッシュな声と歌いぶりで、一声目から魅了された。
 舞台後方の席だったので、しかとしっかり観ることはできなかったが、ちょっとしたしぐさや表情など、演技も実にチャーミング。
 また、バス・バリトン独唱のホーヴァード・ステンスヴォルドも、暖かみのある幅の広い声質と親父と農民を巧みに演じ分ける達者な歌唱を聴かせてくれた。
 一方、モルテンセン(雄弁で闊達なチェンバロ!)とコンチェルト・コペンハーゲンも粒が揃ってしなやかな演奏で、例えば農民カンタータではこの作品の持つ多様な側面(民謡、民俗音楽の引用だとか)を描き出すなど、大いに満足がいった。
 二つのカンタータに挟まれた、テレマンのフルートとヴァイオリンのための協奏曲(これまたコンチェルト・コペンハーゲンの演奏の流麗なこと)でも妙技を披露したフラウト・トラヴェルソのカティ・ビルヒャー、農民カンタータに登場しばっちり決めたナチュラルホルンのウルスラ・パルダン=モンベルグも、ともによい意味で過不足のない出来ではなかったか。
 なお、弦のピチカートにのってフラウト・トラヴェルソとヴァイオリンが歌う、上述テレマン作品のアダージョがアンコールだった。

 いずれにしても大当たりのコンサート。
 やっぱりバッハはいいなあ!
(「って、何が苦手意識があるだよ」、と呼ぶ声あり。だから、若干って書いたでしょ、若干って)


 ところで、コーヒー・カンタータで、テノール独唱のトマス・メディチがレチタティーヴォを普通の台詞として語っていたのは演出だろうか?
 それとも、声の調子が悪かったからか?
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2010年01月15日

双葉十三郎が亡くなった(CLACLA日記)

 昨年12月に、映画評論家の双葉十三郎が亡くなっていたことを夕刊の訃報で知った。99歳だったという。
 双葉さんに関しては、文春新書から洋画邦画に関する著書が出ているし、小林信彦も一連のエッセイで詳しく触れていることだから、あえてここではくどくどと記さない。
 双葉十三郎は日本を代表する映画評論家だった、ということだけ記しておくことにする。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 ハイチで起きた大地震のために、推計5万人の人々が亡くなったという。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜は、ナイナイのオールナイトニッポンを聴きながら、仕事関係の作業を進めたり雑件を片づけたりしたのち、2時41分に消灯する。

 10時27分に起きる。

 『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読み進める。

 許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>を読了した。
 許光俊という人の音楽に対する真摯な姿勢が痛いほどよくわかる一冊だったと思う。
 読んでおいて、本当によかった。

 『不在証明』の筆入れを進める。
 難航難航、また難航である。

 パルナッシ・ムジチの演奏した、ドメニコ・ガッロの12のトリオ・ソナタ集<CPO>から、第1番、第2番、第12番を聴く。

 続けて、エサ・ペッカ・サロネン指揮ロンドン・シンフォニエッタ他の演奏した、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『プルチネッラ』<Sony>を聴く。
 ちなみに、『プルチネッラ』の元ネタこそ、上述ドメニコ・ガッロの12のトリオ・ソナタなのだ。

 17時50分に外出し、近くのフレスコで夕飯用の買い物をすませ、18時28分に帰宅した。
 グルメシティまで行ったのだが、あいにくめぼしいものがなかったのである。

 今日も寒さが厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 夕飯後、『花田清輝全集』第一巻を読み進める。

 思うところあって、魚住昭の『特捜検察』と荻野富士夫の『思想検事』<ともに岩波新書>のつまみ再読をする。

 今日は、神戸屋のアーモンドフランスを食す。
 フレスコで、半額引き、税込み48円だったもの。
 アーモンドフィリングを挟んだフランスパン風のパンなんだけど、少々塩っけがきついと思う。
 ごちそうさま!

 小沢一郎民主党幹事長の元秘書、石川智裕衆議院議員が逮捕されたという。
 罪は罪、罰は罰、小沢一郎とともに彼は厳しく追及されてしかるべきだろう。
 しかしながら一方で、東京地検には自民党をはじめとした他の政党の政治家に対しても厳しい司直のメスを入れて欲しいと、僕は強く思う。
 正直、これまでの東京地検の姿勢には、どうにもしっくりしない点が少なくないからだ。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月14日

あちゃちゃ、火傷した(CLACLA日記)

 朝昼兼用のパスタをつくって食べたあと、うっかりガスコンロの金具をつかんでしまい、右手の親指と人差し指を火傷してしまう。
 すぐに水で冷やしたかいあってか、それとも面の皮、ならぬ指の皮が厚かったせいか、少し水ぶくれができた程度だが、それでも時折激しい痛みが走る。
 特に、物を書くときの痛いこと痛いこと。
 自業自得とはいえ、辛いなあ。


 昨夜は、『花田清輝全集』第一巻<講談社>や許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>を読み進めたり、仕事関係の作業を進めたりしたのち、2時50分に消灯する。

 7時台に目醒めたものの、寒さに負けて、寝床の中で雑件や仕事関係の作業を片づける。
 結局、布団を上げたのは、11時3分になってから。
 度し難い。

 『花田清輝』全集第一巻を読み進める。

 『クラシック批評という運命』も読み進める。


 14時17分に外出し、COCON烏丸の京都シネマで、アンジェイ・ワイダ監督の『カティンの森』(15時から上映の回)を観る。
 詳しくは、前回の記事をご参照のこと。

 そういえば、2歳か3歳程度の女の子連れの女性二人(女の子のお母さんと、その人のお母さんか?)がいて、上映が始まる前から女の子が泣き声を上げたりしていて大丈夫かなと思っていたら、やっぱり途中でむずかり出して、お母さん(?)といっしょに外に出てしまった。
 やっぱり、『カティンの森』は辛かっただろうなあ。
(だからと言って、女性二人のことだけをどうこう責めるつもりはない。いろいろと考えることはある。ただ、林光さんの『森は生きている』とワイダ監督の『カティンの森』とは違う、ということもやはり記しておかなければならないだろう)

 開場前にShin−biをのぞく。

 上映終了後、京都芸術センターに寄り、グルメシティなどで夕飯用の買い物をすませ、18時1分に帰宅した。


 昨日に続いて、今日も寒さが厳しい。
 寒い寒い。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 夕飯後、『花田清輝全集』第一巻を読み進める。

 『クラシック批評という運命』も読み進める。

 『不在証明』の筆入れを進める。

 今日は、甘いものは食さず。

 東京地検が、小沢一郎事務所と鹿島建設の強制捜査を行ったという。
 罪は罪、罰は罰だし、小沢一郎を積極的に支持しているわけではないけれど、なんだか裏がありそうというか、しっくりとこないものを感じる。
 少なくとも、与えられた情報を鵜呑みにすることだけは避けたいと思う。
(それにしても、例えば森喜朗あたりなどたたいて埃は出ないのだろうか?)

 俳優の奥村公延が亡くなった。79歳。
 訃報にもあるように、伊丹十三監督の『お葬式』で有名になった役者さんだが、かつての筒井康隆大一座の一員でもあり、テレビ朝日の『富豪刑事』にもゲスト出演していた。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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『カティンの森』

 アンジェイ・ワイダ監督の最新作『カティンの森』(2007年、ポーランド)を観た。

 『カティンの森』は、そのタイトルからも明らかなように、第二次世界大戦中の1940年、捕虜となったポーランド人将校1万数千人がソ連によって虐殺されたカティンの森事件をモティーフとした作品である。
 当然、この事件で、自らも父を殺害されたアンジェイ・ワイダは、ソ連が犯した罪を厳しく告発する。
 そして、父を待ち続けた母や妻たちの深い哀しみや強い憤りを描く。
(アンジェイ・ワイダは、この『カティンの森』を彼の両親に捧げているのだ)

 それとともに、この作品は、共産主義ソ連やナチス・ドイツに蹂躙されたポーランドの姿と、そうした状況の中で翻弄され続ける人々の姿を克明に映し出す。

 加えて、この作品は、人間が犯す暴力や罪、さらには人間存在そのものへの問いかけ(そこにはもちろん宗教や神の問題も含まれているだろう)ともなっているように、僕には思われる。
(その意味で、成功作か否か置くとして、僕は同じアンジェイ・ワイダの『悪霊』を思い出す)

 全編、ユーモアなどとは全く無縁の、まさしく救いのない展開が続いていくのだが、一つ一つのエピソードの選択の的確さと表現の距離感の適切さ、作品の世界観によく沿った役者陣の優れた演技によって、2時間を超える上映時間を僕は長く感じることはなかった。

 クシシトフ・ペンデレツキの作曲による音楽(交響曲第4番やポーランド・レクイエムの引用)も効果的だったのだけれど、ラストの音のないローリングタイトルに、僕は一層アンジェイ・ワイダの強い意志を感じた。

 いずれにしても、本当に観てよかったと思える作品だった。
 多くの方に、ぜひともお薦めしたい。


 *追記
 僕は、この『カティンの森』を観ながら、ふと新藤兼人のことを思い出した。
 アンジェイ・ワイダと新藤兼人の大きな違いは充分承知しつつも、老いてなお自らが伝えようとすることを執拗に作品にし続けるという点で、二人の監督の姿が僕にはどうしても重なり合ってしまったのだ。
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2010年01月13日

寒い寒い一日(CLACLA日記)

 寒さも寒し、寒々し。
 いやあ、今日は本当に寒かった。
 外出中は、顔が強張り身体が震えてたまらなかったほど。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。


 昨夜は、『不在証明』の筆入れをしたり、雑件を片づけたりしたのち、2時55分に消灯する。

 7時台に目が醒め、一時間半ほど寝床の中で今後の創作活動や新しい作品について考える。
 その後、うつらうつらとして、しっかり起きたのは10時49分になってから。

 『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読み進める。

 許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>も読み進める。

 『不在証明』の筆入れを進め、今後の創作活動について考える。

 急な用件が入り、15時38分に外出する。
 で、近くの郵便局に寄り、金券ショップ・トーカイでバスの回数券を購入したのち、市バスで移動して用件をすませ、20時12分に帰宅した。

 行き帰りのバスの車内で、『クラシック批評という運命』を読み進める。

 遅めの夕飯をすませたのち、さらに『クラシック批評という運命』を読み進める。
 『音楽現代』誌に連載され、一躍許光俊の名を知らしめた「新・奇想のカデンツァ」を読み終えた。

 今日は、実家から送ってきたギンビスアスパラガス(ビスケット)を食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 小沢一郎包囲網がさらに狭められているようだ。
 むろん罪は罪、罰は罰だろうけど、いろいろと考えてしまうなあ、やっぱり。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月12日

オトマール・スウィトナーとエリック・ロメールが亡くなった(CLACLA日記)

 オーストリアの指揮者、オトマール・スウィトナーが亡くなった。87歳。
 ドレスデンやベルリンなど旧東ドイツを中心に、コンサート・オペラの両面で活躍した。
 名誉指揮者となったNHK交響楽団との共演をはじめ来日回数も多く、伊藤雄之助と笑福亭松之助を足して二で割ったような独特の風貌もあって、強く印象に残った指揮者の一人だった。
 中でも、エアチェックをして何度も聴いたブラームスの交響曲第4番や、滑稽な仕草が面白かったブレーデマイヤーのBのためのバガテルが忘れられない。
(ただし残念なことに、僕はスウィトナーの実演に接したことはなかった。接する機会がなくはなかったのだが)
 旧東ドイツの消滅後、事実上の引退状態にあった。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 フランスの映画監督、エリック・ロメールも亡くなった。89歳。
 表面的には淡々とした筆致ながら、その実、激しい心の動きが秘められた作品を生み出し続けた監督だった。
 もうだいぶん前になるが、ビデオで集中して彼の作品を観たことがある。
 深く、深く、深く、深く黙祷。


 昨夜は、鈴木秀美の「『古楽器』よ、さらば!」<音楽之友社>を読み進め第2章の「オリジナル楽器とバッハ」を読み終えたり、伊集院光の深夜の馬鹿力を聴きながら新しい小説について考えたりしたのち、3時18分に消灯する。

 10時48分に起きる。

 『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読み進める。
 花田清輝自身、「でっちあげ」たという経済論だけに、なんだかマルクス主義者の論文のパスティーシュかパロディのように思えてしまう。

 第3章の「ガット・カフェ、その他」を読み終え、「『古楽器』よ、さらば!」を読了した。
 ときに専門性の強い内容の文章もなくはなかったが(それでも文章そのものは明解でわかりやすい)、そうした点も含めて、表現者のあり様を考える際にとても刺激の多い一冊だった。
 満足なり。

 続けて、許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>を読み始める。
 今から20年ほど前に書かれた、許光俊の初期の評論を集めたもので、よくよく考えたら、その多くを僕は初出掲載時の『音楽現代』誌で読んでいたのだった。
 確か、許さんが描いた「邪悪」なイラストにも驚かされたのではなかったっけ。
 面白し面白し。

 13時台に、浴室とトイレの掃除をすませる。

 新しい小説の下書きとノート書き、PCへの打ち込みを進める。
 1を書き終えた。

 チェロの鈴木秀美とフォルテピアノの小島芳子が演奏した、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第1番と3つの変奏曲<DHM>を聴く。
 第2番のソナタは聴きそびれただけで、他意はない。

 17時38分に外出し、近くのグルメシティとフレスコで夕飯用の買い物をすませ、18時4分に帰宅した。
(雨が降るなどお天気がどんよりとしていたことに加え、左肩を捻って時折いやな痛みが走ることもあり、今日は遠出を控えたのだ)

 じめじめとじめ寒い感じの強い一日。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 夕飯後、『花田清輝全集』第一巻を読み進める。

 『クラシック批評という運命』も読み進める。

 今日は、山崎製パン・スマイルオーブンのモッチクリームドーナツを食す。
 近くのグルメシティで、30パーセント引き、税込み70円になっていたもの。
 ねっとりとしたクリームを包んだドーナツで、まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月11日

いつまで経っても子供だね(CLACLA日記)

 世は三連休最終日。
 成人の日。
 こちらは、昨年40歳となったが、なんのこたないいつまで経っても子供じみていて、ちっとも大人に成りきれぬまま。
 反省しきり。


 昨夜、鈴木秀美の「『古楽器』よ、さらば!」を読み進め第1章の「チェロの名曲を訪ねて」を読み終え、『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読み進め第一パートを読み終えたのち、3時25分に消灯する。

 10時36分に起きる。

 『花田清輝全集』第一巻を読み進める。
 「イプセンの『幽霊』」や「サンチョー・パンザ論」など、花田清輝の時局への抵抗の姿勢がよく示された文章だと思う。

 「『古楽器』よ、さらば!」も読み進める。
 落語を巧く活かした「真打ち、バッハ」を読んで、なるほど鈴木さんの文章にも落語が影響を与えていたのかと気づく。
 どうりでしっくりくるわけだ。

 新しい小説の下書きとノート書き、PCへの打ち込みを進める。

 16時10分に外出し、京都芸術センターの図書室や大垣書店四条店で調べものをし、ついでに夕飯用の買い物をすませて、18時10分に帰宅する。

 一応青空は見えていたが、どんよりとした感じも強し。

 日中、それほど気温は下がらず。
 ただし、夕方以降の冷え込みは厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい、

 夕飯後、『花田清輝全集』第一巻を読み進め、第二パートを読み終えた。

 「『古楽器』よ、さらば!」も読み進める。

 新しい小説の下書きとノート書き、PCへの打ち込みを進める。
 ようやく原稿用紙3枚分になった。

 今日は、甘いものは食さず。

 俳優の東恵美子が亡くなった。85歳。
 劇団青年座の創立メンバーの一人であり、舞台を中心に映画やテレビドラマでも活躍した。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月10日

三連休二日目、三度外出した(CLACLA日記)

 世は三連休の中日。
 こちらも連休気分にひたるべく、京都市交響楽団のニューイヤーコンサートを聴きに行こうと思っていたのだが、念のため京都コンサートホールに電話をかけたところ、残席15席ですでにけっこうお客さんが並んでいると聞いてしまい、断念することにする。
 耳なじみのよい作品に若手注目株の川瀬賢太郎の指揮と、とても愉しみにしていたのだが。
 やはり、P席を買いそびれたのが失敗だった。
 まあ、仕方ない。


 2時45分に消灯し、10時36分に起きる。

 少しどんよりとした感じはしていたものの、毎週恒例の洗濯をすませる。
 ついでに掃除機かけとキッチンまわりの拭き掃除もすませる。

 兵庫県立芸術文化センターに電話をかけ、コンチェルトコペンハーゲンの来日コンサート(16日/小ホール)のチケットを予約しておく。
 残念ながら、あまりいい席は残っていなかった…。
 まあ、仕方ない。

 『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読み進め、『七』(及び『作者の言葉』)を読み終えた。
 『七』はサンデー毎日の第八回「大衆文芸」(1931年)の入選作品であるが、読みながら横溝正史の初期の作品を思い起こした。

 新しい小説の下書きとノート書きをする。

 14時15分に外出し、下京図書館へ。
 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>と山本直純の『紅いタキシード』<東京書籍>を返却し、予約しておいた鈴木秀美の「『古楽器』よ、さらば!」と許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>を借りる。
 そのまま寄り道せずに、14時56分に帰宅する。

 帰宅後、早速「『古楽器』よ、さらば!」を読み始める。
 いわゆるピリオド楽器のチェロ奏者、並びに指揮者として活躍中の鈴木秀美がコンサートプログラムなどに綴った文章を集めた一冊。
 その演奏の如く、歯切れがよくて明解な文章、と書くとべた過ぎるかな?
 面白し。

 鈴木秀美が弾いた、ヨハン・セバスティアン・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番、第4番、第5番<DHM>を聴く。

 新しい小説のノート書き分の打ち込みをする。

 18時27分に外出し、グルメシティとフレスコで夕飯用の買い物をすませ、19時1分に帰宅する。

 急な用件が入ったため19時58分に外出し、22時16分に帰宅した。

 今日は、チョコレートを食す。
 少しだけだったけど、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月09日

気分だけは三連休(CLACLA日記)

 世は三連休。
 気分だけは、我も三連休。


 昨夜は、ネットラジオでロジャー・ノリントン指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団他の演奏したハイドンの『トービアの帰還』のライヴ録音を聴きながら、シナリオ関係の仕事を片づけたのち、3時8分に消灯した。

 9時45分に目醒めたが、あえてもう一度眠ることにし、11時8分に起きる。

 第三楽章の「音楽よもやま話」とフィナーレを読み終え、山本直純の『紅いタキシード』<東京書籍>を読了した。
 彼自身の想いは置くとして、この本はやっぱり山本直純の遺書だったのではないかと思う。
 読んでおいて正解の一冊だった。

 続けて、『花田清輝全集』第一巻<講談社>を読み始め、「アプリオリズムと宗教の本質に就いて」と「ひとつの習作とそのはかないひとりごとの話」を読み終えた。
 第七高等学校在学時の前者には、いわゆる楕円の思想を想起し、同校退学後に執筆されたと思しき後者には、『復興期の精神』を想起した。

 新しい作品についていろいろと考えているうちに短篇(もしくは、中篇)小説のアイデアを思いつき、冒頭部分の下書きとノート書きを行う。
 ただし、この作品を書き進めるには、いくつか文献にあたっておかなければならないとも思う。


 15時30分に外出し、京都芸術センターと京都文化博物館でいくつか用件を片づける。

 その後、青空が晴れていたこともあり、三条通を歩いて河原町まで出、JEUGIA三条本店をのぞく。

 それからBALに行き、ジュンク堂で調べものをし、無印良品で収納ケースを購入する。

 六角通を歩いて烏丸まで戻ったところで椋平淳さんと遭遇し、遅ればせながら新年のあいさつをすませる。

 で、京都芸術センターに再び寄って、17時54分にいったん帰宅する。


 商品の規格が変わってしまったようで、以前のものと今日購入した収納ケースがほんの少しの差で噛み合わず、迷った末、なんとか置き場所を見つける。
 無印良品ならぬ無印悪品だ、などと毒づくまい…。

 18時20分に再び外出し、グルメシティで夕飯用の買い物をすませ、18時49分に帰宅した。

 夕飯後、『花田清輝全集』第一巻を読み進め、『窓』を読み終えた。
 『窓』は、京都大学文学部英文科選科に合格したのちに書かれた戯曲で、ラストのおとし具合が花田清輝らしいと思う。

 ついでに、花田清輝の『新編映画的思考』<講談社文芸文庫>所収の、川本三郎の解説(人と作品)「笑いとアクション」、並びに年譜のつまみ再読をしておく。
 よくよく考えれば、昨年2009年は、花田清輝の生誕百周年にあたっていたのだった。

 ノート書きしておいた新しい小説の冒頭部分の打ち込みをすませる。

 今日は、甘いものは食さず。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

遠出しそびれた(CLACLA日記)

 本当は遠出するつもりだったのだけれど、結局今日は夕飯用の買い物以外外出せず。
 まあ、仕方ない。


 昨夜は、ナイナイのオールナイトニッポンを聴きながらいくつか雑件を片づけたのち、2時45分に消灯。
 3時ごろ寝つく。

 9時45分に起き、掃除機かけをすます。

 昨日、榎雪子さんに「京都にも、あうるすぽっとや座・高円寺のような小劇場があればいい」といった話をしたこともあり、森啓編著の『市民文化と文化行政』<学陽書房>と山崎泰孝の『ホールの計画と運営』<鹿島出版会>のつまみ再読をする。
 いずれも院生のころに読んだ本だが、この15年から20年の間、「多目的(ホール)は無目的」という状況が如何に変わったか、もしくは変わらなかったかについて考えた。
 それと、福永文夫の『大平正芳』<中公新書>を読んだこともあって、『市民文化と文化行政』がその線(大平正芳が推進しようとした政策。全てではないけれど)とつながることがよくわかる。

 マグダレーナ・コジェナーが歌う、モーツァルトのコンサート・アリア「大いなる魂と高貴なる心は」と『フィガロの結婚』のスザンナの代替アリアを聴く。
 モーツァルトのアリア集<ARCHIV>に収められているもので、プライベートでもパートナーであるサイモン・ラトル指揮エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団が伴奏を務めている。
 心の動きがしっかり伝わってくる歌いぶりに、こちらの心もしっかり動く。

 山本直純の『紅いタキシード』<東京書籍>を読み進め、第二楽章の「超多忙時代」を読み終えた。
 時系列的にも文章的にもいささかとっちらかった感じはするが、それがまた山本直純らしいというか、本人の想いがストレートに伝わってくるような気もする。
 少なくとも、家族や友人、師(斎藤秀雄をはじめ)に対して抱いた強くて深い愛情がよくわかる。

 なお、この第二楽章中の映画黄金期で触れられている、山本直純がその死に立ち会ったガス中毒死した映画監督とは、安達伸男監督のことだろう。
 「宝塚にも撮影所があり、東宝系の映画を製作していた」という記述や、山本直純の師の一人渡辺浦人が音楽を担当しているということから、『鞍馬天狗斬り込む』の際の悲劇と類推できる。

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>も読み進める。

 15時台に、浴室とトイレの掃除をすませる。

 新しい作品についていろいろと考えるものの、これといったアイデアを思い浮かべることができず。
 ただただ考えあぐねる。

 17時15分に外出し、近くのグルメシティ、フレスコ、SHOP99西洞院店で夕飯用の買い物をすませて18時5分に帰宅した。
 SHOP99まで足を運んだのは、近くのダイソーに欲しいものがなかったため。

 どんよりとした感じはありつつも、一応青空の見えた一日。

 厳しい寒さが続く。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 夕飯後、『紅いタキシード』を読み進める。

 第五パートの「文化と趣味の本」を読み終え、ついに『本の本』を読了した。
 しめて730頁になんなんとする大著だったが、斎藤美奈子のぶれのなさがよくわかったことも確か。
 大いに満足なり。

 京都市図書館のインターネットサービスで、許光俊の『クラシック批評という運命』<青弓社>と鈴木秀美の「『古楽器』よさらば!」<音楽之友社>を予約した。

 ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏した、モーツァルトの交響曲第33番、第36番「リンツ」、第41番「ジュピター」<PHILIPS>を聴く。

 今日は、クラッカーサンド・ミルククリームを食す。
 SHOP99で購入したもの。
 安かろう、思った以上に美味かろう。
 ごちそうさま!

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2010年01月07日

榎雪子さんとお茶をした(CLACLA日記)

 今日は1月7日。
 2010年も一週間が過ぎた。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。


 3時1分に消灯し、9時45分に起きる。

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>を読み進め、第四パートの「社会評論と歴史の本」まで読み終えた。

 新しい作品のアイデアをノートにメモする。


 14時20分に外出し、下京図書館へ。
 筒井清忠の『昭和十年代の陸軍と政治』<岩波書店>、山崎浩太郎の『クライバーが讃え、ショルティが恐れた男』<洋泉社>、『植草甚一日記』<晶文社>を返却し、予約しておいた『花田清輝全集』第一巻<講談社>と山本直純の『紅いタキシード』<東京書籍>を新たに借りる。

 その後、京都芸術センターでいくつか用件を片づけ、ウィングス京都/中京青少年活動センターに異動したところで、榎雪子さんから電話がある。

 で、近くのカフェベローチェ烏丸蛸薬師店でおち合い、一時間半ほど話をした。
 榎さんと落ち着いて話をするのは久しぶりのことだったが、いつもの如くいろいろと刺激を受ける。
 多謝。

 17時40分頃榎さんと別れ、再び京都芸術センターに寄り、夕飯用の買い物をすませて18時22分に帰宅した。


 寒さが非常に厳しい一日。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 夕飯後、『本の本』を読み進める。

 『紅いタキシード』を読み始め、第一楽章の「ボクの家系」まで読み終えた。
 『紅いタキシード』は、山本直純が自らの来し方を綴った一冊で、『レコード芸術』の片山杜秀の書評を目にして以来ぜひとも読んでみたいと思っていたもの。
 僕は、山本直純のだみ声を思い出しながら読み進めている。
(今崎暁巳の『友よ未来をうたえ』<労働旬報社>では、日本フィルの分裂騒動の際、新日本フィルの結成に暗躍した資本家の走狗のような書き方をされている山本直純だが、『男はつらいよ』、『関ヶ原』、『武田信玄』のテーマ曲や『学生節』といった彼の親しみやすい作品を僕は大好きだし、その人柄にもひかれるものがある。惜しみてあまりあるのは、山本直純の実演に接することができなかったことだ)

 ところで、山本直純の父方の祖母愛が有島家の出で、武郎、生馬、英夫(里見トン)の兄弟(姉妹)だとは知らなかった。
 また、「愛の弟の有島生馬の妻・信子はハーフでピアニスト」とある有島信子は、『西園寺公と政局』<岩波書店>で知られる原田熊雄の実の妹にあたる。
 加えて、山本直純の父直忠の音楽の師は近衛秀麿だが、『西園寺公と政局』の口述筆記をしたのが、その近衛秀麿の夫人泰子である。
 まあ、山本直純の曽祖父直成は岩倉具視の側近だったというから、こうした人間関係も全く不思議ではないが。

 今日は、タンゴのクッキーチョコを食す。
 SHOP99西洞院店で購入したもの。
 こってりとしたクッキー入りのチョコレートで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 小澤征爾が食道癌のため半年間活動を休止するとのこと。
 そういえば、僕は小澤さんの実演に接したこともなかったんだよなあ。

 アメリカ国籍の人間を狙えばテロリストで、捕鯨船を狙えば動物愛護団体になるのか?
 そんな馬鹿な。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月06日

与えられた情報を鵜呑みにしたくはないな(CLACLA日記)

 与えられた情報を鵜呑みにして、それだけで善悪正邪是非賛否の判断を行うことほど危ういこともないものだと、僕は思う。


 昨夜は、爆笑問題カーボーイを聴きながら雑件をいくつか片づけたのち、3時7分に消灯する。
 ただし、しばらくは寝つけず、今後の創作活動などについてあれこれ考える。

 9時台に一度目が醒めたが、どうしても眠気に勝てず、起きたのは10時48分になって。
 これではいけない!

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>を断続的に読み進め、第三パートの「本のある生活」まで読み終えた。

 マルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊メンバーの演奏した、モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』のハルモニームジーク(トリベンゼー編曲)<ERATO>を聴く。
 ふと、音楽大学で管楽器を学んでいる面々は、こういったハルモニームジークの類いを路上ライヴで演奏しれみればいいのに、と思ったりする。

 16時40分に外出し、近くのグルメシティで夕飯用の買い物をすませ、17時38分に帰宅した。
 途中、ファミリーマート四条大宮店で週刊文春の小林信彦の連載エッセイ(だけ)を立ち読みしたが、森繁久彌翁のことなどが記されていた。

 一応青空は見えつつも、どんよりとした感じもあり。

 寒さが厳しい一日。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。
(そういえば、長岡京市の病院で新型インフルエンザのためのワクチンが盗まれたそうだ。うむむ)

 帰宅後、一幕物の戯曲に関するアイデアをノートにメモする。
 書きたい、という意欲だけはありつつも、「さあ書くぞ!」という状態にはまだいたっていない。
 今は待つしかないか…。

 夕飯後、『本の本』を読み進める。

 新しい作品について、いくつかアイデアをノートにメモする。
 が、いまひとつ…。

 今日は、プレシア・おいしくたべたい!の生どら焼き・宇治茶大納言を食す。
 近くのグルメシティで、半額引き、税込み54円だったもの。
 宇治茶味の粒あんクリームを挟んだどら焼きで、なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 結局、藤井裕久財務大臣は辞任し、後任には菅直人副総理大臣が横滑りするらしい。
 一方、東京地検特捜部が、土地取得問題で小沢一郎民主党幹事長の事情聴取を要請するとのことだ。
 いずれにしても、鳩山内閣の置かれた状況はますます厳しくなるのではないか。

 ところで、現政権や民主党を積極的に支持するつもりは毛頭ないし、様々な疑惑は厳しく追及されてしかるべきだとも考えるが、最近の諸状況に対しどうにもしっくりとこない感情を抱いてしまうこともやはり事実である。
(特に、昨年末に『西園寺公と政局』<岩波書店>を読み終えたあとだけに)
 だいたい、自民党や公明党の連立政権はこりごりだからなあ。

 出張中の広島で被爆し、長崎でも再び被爆した、いわゆる二重被爆者の山口彊さんが亡くなった。93歳。
 深く、深く、深く、深く黙祷。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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脈絡のない抜書き

 巷の流行にはとんと疎いくせに、自分が直接触れたものにはすぐさま影響されるというのが、当方の悪い癖。
 今日も今日とて、斎藤美奈子の書評集『本の本』<筑摩書房>を読んで、なんぞ自分の大好きな本について記してこましたろうとたくらむ始末。
 が、そこは筆力のない者のかなしさ、いっこうに納得のいく文章が思い浮かばない。
 と、言うことで考えついたのが、手垢がつくほど読み返し読み倒した愛読書の中から、好き勝手得手勝手に引用してみせるということ。
 まさしく、脈絡のない抜書きで、その点ご容赦ご寛容のほど。


>そんな気がするだけだよ……。
 われわれはいないんだ、この世にはなんにもありゃせんのだ、ただ存在しているような気がしてるだけなんだ……。
 どっちにしたって同じことだよ!<
(『チェーホフ全集』11<ちくま文庫>所収、『三人姉妹』第四幕、チェブトゥイキンの台詞より)


>作家の誠実さとは生き方なんかではない。生き方や態度や社会的発言の<誠実さ>は、とりあえず、疑ってみる必要がある。
 語りたいこととかある思い(フット・フェティシズムでもなんでもいい)を一つの幾何学的な物語に組み立てること、読者にあたえる効果を考えながらエピソードの順序を入れかえること、語り手をどうするか(一人称か三人称か)を考えること、伏線をフェアに張ること、眠る時間を削って何度も細部を考え、ノートを書きかえること  作家の誠実さとはそれしかない<
(小林信彦『小説世界のロビンソン』<新潮文庫>、第三十三章「作家の誠実さとはどういうものか」より)


>家でつくったホットケーキは、くずれたってうまけりゃいいじゃないか、自分がつくったことによって楽しむのであり、それを自分が食うことによって喜びを得、他人に食わせることによってもう一つの喜びを味わう。
 (中略)けれども、金を取って聞かせるのだったら、そうはいかない。ただ自分が楽しんでいるだけではいけない。くずれたホットケーキは売れないし、お砂糖が入り過ぎていても、ちょっと味がおかしくても売り物にならない。人に売るためには、プロとしての自負心と、それに耐え得る商品価値を身につけなければならない。
 そのためには、幾歳月の努力と精進が必要なのだ<
(山本直純『オーケストラがやって来た』<実業之日本社>、第3章「音楽家になるのはたいへんだ」より)


>自然、私自身のクリティシズムは、結局自己批判である。
 批判の対象をどんなものにとっても、帰するところは、頭を下げれば自分に頭を下げているのであり、唾を吐きかければ自分に吐きかけているのである<
(『長谷川如是閑評論集』<岩波文庫>所収、『「リットル・クリティックス」』より)


>批評家の名誉は、愛情や理解ではなく、容赦ない鋭利さ、つまり残酷さの中にこそあると私は考えている。ナイフの一閃で対象の急所をえぐって見せる、それが批評家ならではの最高の芸のはずである。
 (中略)私に言わせれば、「知り合いだから褒めていやがる」、これ以上に批評をおとしめる言葉はない。なぜなら、評論家は、寛大や親切や思いやりといった人間的な美徳を捨てることを出発点にしなければならないからである。それでは良心がうずいて仕方がないというのなら、批評など書いてはならない。
 善良な人向けの職業は他にいくらでもある<
(許光俊『問答無用のクラシック』<青弓社>所収、「大野和士の『エレクトラ』」より)


>芝居のコンヴェンションをマスターしていない劇作家のものは、難しくてつまらないものが多い。
 これに反して、コンヴェンションを会得している奴の作品は、ひどくマジメな作品でも、面白くなり、こちらに通ずるものがあり、引きつけられる<
(林達夫、久野収『思想のドラマトゥルギー』<平凡社ライブラリー>、十「演劇変相之図」より)


>オペラを楽しむのに、難しい理屈はいらない、とよくいわれます。
 おまえはどう思うか、と私はよくきかれます。
 私は、こう答えます。
 楽しいオペラを観ながら、それについてあれこれ理屈をこねるのが、いちばんすばらしい、と<
(林光さん『日本オペラの夢』<岩波新書>より)


>いかに革命に関する本を読み、革命について論じ、革命とともに生死をともにするようなふりをしてみたところで、しょせん、同情者は、同情者にすぎないのだ<
(『花田清輝評論集』<岩波文庫>所収、『美味救世』より)


>友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無い<
(太宰治『もの思う葦』<新潮文庫>所収、『徒党について』より)


>馬鹿につける薬はない。
 馬鹿は結局馬鹿なことしかしでかさない。
 迷惑するのは良識ある人々である。
 ここに言う馬鹿が誰のことを指しているかは、諸君の判断にお任せして、私からは言わないことにしておく<
(『林達夫評論集』<岩波文庫>所収、『鶏を飼う』より)


>日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を讃美してきたのは長いことだった。(中略)戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。だが、それでも彼らが、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。(中略)彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼らは戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼らに国際的知識がない。知識の欠乏は驚くべきものがある。
 当分は戦争を嫌う気持ちが起ころうから、その間に正しい教育をしなくてはならぬ。それから婦人の地位をあげることも必要だ<
(清沢洌『暗黒日記』<岩波文庫>、1945年1月1日条より)


>母性愛は人間的感情にほかならない。
 あらゆる感情と同様に、不安定で、もろく、不完全なものである。
 一般に浸透している考えとは反対に、おそらく母性愛は、女性の本性に深く刻みこまれているわけではない<
(エリザベート・バダンテール『母性という神話』<ちくま学芸文庫>より)
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2010年01月05日

髪がはねてはねてみっともない(CLACLA日記)

 髪がはねてはねてみっともない。
 ムースだのなんだのつけりゃいいものを、水と帽子でなんとかしようとするだけだから、ちっとも治まりゃしない。
 我ながらお恥ずかしいかぎり…。


 昨夜、大切な用件をすませ、伊集院光の深夜の馬鹿力を途中から聴いたのち、3時17分に消灯する。

 9時45分に起きる。

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>を読み進める。
>ふだん目にする書評で多いのは「君臨する書評」と「従属する書評」だ。
 「褒めてつかわす」といわんばかりの態度をとるか、ありがたく「押しいただく」か<
(池澤夏樹の『風がページを……』<文藝春秋>に対する書評より)
 それに続けて、斎藤さんは池澤夏樹の週刊文春連載の読書日記を「寄り添う書評」と評価する。
 まさしく、自省あるのみだ。

 ほかに、『花田清輝評論集』<岩波文庫>のつまみ再読をする。
 京都市図書館のインターネットサービスで、『花田清輝全集』<講談社>の第1巻を予約しているのだけれど、それはそれ、これはこれ。
>しょせん、同情者は、同情者にすぎないのだ<
(『美味救世』より)

 ネットラジオで、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ダラス交響楽団のコンサートのライヴ録音を聴く。
 ハイドンの交響曲第86番にヴュータンのヴァイオリン協奏曲第5番(ゲイリー・レヴィンソンの独奏)、ビゼーの交響曲第1番、ラヴェルのボレロという、ヴュータンを除けば僕の好みにぴったり合ったプログラム。
 ズヴェーデンは作品のツボをよく押さえたドラマティックな音楽づくりを行っていたと思う。
 オーケストラのアンサンブルには若干肌理の粗さを感じたが、これは実演ならばそれほど気にならないのではないか。

 依頼された、映画のシナリオ関係の仕事を行う。

 14時55分に外出し、今年初めて京都芸術センターへ。
 いくつか用件を片づけたのち、大垣書店烏丸三条店で『レコード芸術』1月号を立ち読みし、思文閣の四季報『鴨東通信 冬』を入手する。
 その後、ハローワークの烏丸御池プラザをのぞいて(正月明け早々、たくさんの人が集まっていた…)から、大切な用件をすませる。
 ついでに、早めの夕飯をすませ、再び京都芸術センターに寄って、18時55分に帰宅した。

 一段落着いたあと、『本の本』を読み進める。

 ほかに、『花田清輝評論集』のつまみ再読もする。
 花田清輝が安部公房に与えた影響などについて考えながら。

 ネットラジオで、ペトリ・サカリ指揮アイスランド交響楽団のコンサートのライヴ録音を途中から聴く。
 オール・シベリウス・プログラムで、交響曲第3番(これは途中から)、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第1番が放送されていた。
 非常にエネルギッシュで熱の入った演奏だったが、その分オーケストラの技術力の問題が気になったりもした。
 これまた、実演ならばそれほど気にならなかったのかもしれないが。

 続けて、ジョヴァンニ・アントニーニ指揮バーゼル室内管弦楽団の演奏した、ベートーヴェンの交響曲第1番<OEHMS>を聴く。
 このバーゼル室内管弦楽団をはじめ、老舗ローザンヌ室内管弦楽団やチューリヒ室内管弦楽団、ジュネーヴ室内管弦楽団といったスイスの室内オーケストラは来日しないものだろうか。
 山椒は小粒でぴりりと辛い風の小気味よい音楽を聴かせてくれそうな気がするんだけど。

 今日は、実家から送ってきたCOOPの海藻バーを食す。
 わかめ、こんぶ、ひじき、あおさ、煮干を練り込んだスティックビスケットで、一応甘みはあるものの、これを純然たる甘いものに分類していいんだろうかともやっぱり思ってしまう。
 まあまあ美味しうございました。
 ごちそうさま!

 体調不良のため、藤井財務大臣に辞任の可能性があるとのこと。
 鳩山内閣も、ますます厳しい状況に追い込まれるのではないか。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月04日

三が日も過ぎて(CLACLA日記)

 三が日も終わり、お屠蘇気分も抜けて今日から通常モード突入…。
 待て待て、何がお屠蘇気分やねん、お屠蘇なんて二日に元祇園梛神社でちょちょっと口にしただけやないか、新年早々そないな常套句、陳腐な言葉をつこうたらあかんがなあんた、と呼ぶ声あり。
 ほんまうるさいなあ…。


 昨夜は2時50分ごろに消灯したが、しばらく寝つけず。
 いろいろなことをあれこれと考える。

 8時17分に起きる。
 朝食後に実家から送ってきた栗の甘露煮を食したが、これまた京都山科で製造されたものだった。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>を読み進める。

 12時台に、浴室とトイレの掃除をすませる。

 2010年全体の創作活動について考え、さらに1月の創作活動について考える。
 谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のおんな』、並びに豊田四郎監督の『猫と庄造と二人のをんな』を下敷きにした『われよりほかに』という戯曲のアイデアと、『櫟房隆日録』という日記形式の小説のアイデアをノートにメモしておく。

 カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルの演奏した、ヨハン・シュトラウスのトリッチ・トラッチ・ポルカとポルカ『雷鳴と電光』のライヴ録画をyoutubeで観聴きする。
 ともに、ニューイヤーコンサートを録画したものだ。
 それにしても、カルロス・クライバーの実演に接しそびれたのは返す返すも残念なことである。

 15時2分に外出し、烏丸方面へ。
 UFJ銀行京都支店で用件をすませ、大垣書店四条店で『音楽現代』1月号と『シアターガイド』2月号の「座り読み」をし、COCON烏丸に入って、Shin−bi、京都シネマ、ACTUSをのぞく。
 近くのグルメシティで夕飯用の買い物をすませ、16時48分に帰宅した。

 帰宅後、大垣書店で入手した新潮社の『波』の1月号の中から、春風亭小朝と吉川潮の対談(前篇)をつまみ読みする。
>落語ブームなんかじゃないです。(中略)今起こっているのは<落語家ブーム>ですから。(中略)落語ブームなんていうのは、全く来ていない<
 という春風亭小朝の言葉が特に興味深く印象深い。

 一応、いいお天気、いい青空の一日。
 どんよりとした感じはありつつも。

 夕飯後、『本の本』を読み進め、第一パートの「小説と随筆の本」を読み終えた。
 が、残すところ500頁以上もある。
 まだまだ、だ。

 ニコラウス・アーノンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏した、ヨハン・シュトラウスのポルカ『浮気心』と『雷鳴と電光』、ワルツ『美しく青きドナウ』<TELDEC>を聴く。
 スタイルは大きく異なるとはいえ、カルロス・クライバーと同じく強く心の動く演奏だ。

 そういえば、今からほぼ25年前、僕が初めて生で聴いたプロのオーケストラのコンサートは、今村能さん指揮日本フィルの親子コンサート(生協主催/1985年8月18日、長崎市公会堂)だったんだけど、そのときのアンコールが『雷鳴と電光』で、音楽にあわせて楽団員の面々が開いたビニール傘を左右に振っていたのが未だに強く印象に残っている。
 あのころは日本フィルもまだ厳しい時期で、高校生心に、オーケストラを維持していくのって本当に大変なんだなあと痛感したものだ。
 そして、大学生時代の僕が、今は亡き日本フィルの事務局の中島賢一さんの面識を得るようになったのも、そのときの経験が大きなきっかけとなっている。
(なお、コンサート終了後の企画で、今村さんに「楽団員は指揮者を見ているのですか?」といった素朴な質問をしたこともあって、フルネームに敬称をつけた。たぶん、今村さんはそのことを忘れているだろうけど)

 以前も記したことがあるけど、中島さんは「(オーケストラの置かれた状況を変えていくためには)この国の民度を上げていく必要がある」と繰り返していた。
 当然、その民度の民の中には、中島さん自身もオーケストラに携わる多くの人たちも、そして僕も含まれていたはずだ。
 中島さんが亡くなってから何年も経つが、この日本という国の民度は本当に上がっているのだろうか。

 絶望は虚妄だ、希望がそうであるように。

 夜になって冷え込みが厳しくなった。
 明日は雪が降るかもしれないという。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月03日

劇研寄席を愉しんだ(CLACLA日記)

 13時35分に外出し、四条から地下鉄で松ヶ崎まで行き、そこから歩いてアトリエ劇研へ。
 で、新春恒例の劇研寄席を愉しむ。
 継続は力なり、と言うけれど、今年で8年目を迎えた京都小劇場界の役者陣たちの落語会も回を重ねるごとに闊達の度を増してきたのではないか。
 ライヴゆえのうろや傷もなくはなかったが、それがまたしっかり笑いにつながっていくあたり、我らが親しい役者陣とお客さんとの良好な関係の表われと言うこともできるだろう。
 個人的には、エディ・B・アッチャマンさんの『親子酒』に圧倒されたが、岡嶋秀昭さん、水沼健さん、藤原大介さん、そして二口大学さんも、それぞれの個性がよく発揮された愉しい噺ぶりになっていたと思う。
 ああ、面白かった。

 劇研に一番乗りしたときに、ちょうどタバコを吸っていたエディ・B・アッチャマンさんから話を聴くことができたほか、終演後、二口さんや岡嶋さんとも少し話をすることができた。
 また、杉山準さんをはじめとした京都小劇場界の各氏とも話をしたりあいさつをしたりする。
(筒井加寿子さんには、個人創作誌『赤い猫』第3号をお渡しすることができてよかった。あっ、二口さんと岡嶋さんに…)

 場所を変えての新年会に出ようか出まいか迷ったが、どうしても片づけておかなければならない用件があり(それと、痛風もあるので)、結局我慢して洛北高校前から206号系統の市バスに乗り大宮まで。
 グルメシティで買い物をすませ、18時43分に帰宅した。


 昨夜、『植草甚一日記』<晶文社>を読み進め、6月20日の条まで読み終え、3時過ぎに寝つく。

 今日も朝寝坊を決め込み、10時55分に起きる。

 若干どんよりとした感じはありつつも、一応青空も見えていたので本年最初の洗濯を決行する。
 ついでに掃除機をかけ、キッチンまわりの拭き掃除をすませる。

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>を読み進める。

 『植草甚一日記』も読み進め、8月31日の条まで読み終えた。
 8月31日の条に登場する殿山さんとは、もちろん殿山泰司のことだろう。
(あと、劇研寄席の会場まで少し読み進め、9月12日の条まで読み終えた)

 帰宅後、いくつか用件を片づける。

 『植草甚一日記』を読了する。
 ものかきゆえの執筆作業のあれこれに関しては、当然のことだからそれほど驚かない。
 むしろ驚嘆し圧倒されるのは、その書籍の購入数と頻度である。
 植草さんには、とうてい適わない。

>(前略)三島事件のニュースがTVで入る。それから寝た。かなりこの事件を考え始める。(中略)三島の作家論をキリン堂で買う<
(1970年11月25日の条より)
>(前略)三島事件が頭に去来し、新聞をあさり読んでいる始末<
(1970年11月26日の条より)
>三島事件の切抜を整理していたりしたら九時になった<
(1970年12月11日の条より)

 『本の本』を読み進める。

 京都市図書館のインターネットサービスで、山本直純の『紅いタキシード』<東京書籍>と『花田清輝全集第1巻』<講談社>を予約する。

 今日は、実家から送ってきた黒豆(の残り)を食す。
 これまた京都山科で製造されたものなり。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

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 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年01月02日

正月二日(CLACLA日記)

 正月二日。
 今日は、夕方外出した以外は、ほとんど部屋で過ごす。
(本当は昔なじみから誘いがあったのだが、いろいろと考えて今日はパスすることにした。あまりいいかげんな仕事はしたくないので)


 昨夜、ネットラジオでダニエル・ハーディング指揮ザクセン・シュターツカペレ・ドレスデンの演奏したブラームスの交響曲第2番を聴きながら、『植草甚一日記』<晶文社>を読み進め、6月30日の条まで読み終えた。
 ハーディング指揮のブラームスは、速いテンポでメリハリのきいた演奏で、生で聴いたら心が強く動きそう。
 それにしても、ドレスデンのオーケストラは美事の一語だ。
 あと、時折じぐじぐじぐじぐとおもちゃのラッパのような妙な音が聴こえてきて、何かの楽器が変に響いているのかとも思ったが、どうやらこれはハーディングの唸り声のようである。
 唸る指揮者、少なからず。

 3時過ぎに寝つく。

 明け方いやな夢を観て、「にっぽんこくはんざい!」と叫んだところで目が醒めた。

 朝寝坊を決め込み、10時50分に起きる。

 今日は、インスタントみそ汁、もずくとじゅんさいのスープをベースにお餅を2個入れた雑煮を食す。
 それと、昨日に続いて、実家から送ってきた田作りを食す。
 とても美味しい田作りだったのだけれど、よくよく見たらこれが山科で製造されたもの。
 「逆輸入」の感覚なり。
 ごちそうさま!

 『植草甚一日記』を読み進め、1970年1月31日の条まで読み終えた。

 斎藤美奈子の『本の本』<筑摩書房>も読み進める。

 16時3分に外出し、近くのグルメシティで夕飯用の買い物をすませ、元祇園梛神社へ。
 昨夜の初詣がちょっとしっくりこなかったため。
 お屠蘇もいただく。
 で、16時43分に帰宅した。

 日本テレビの『深夜の音楽会』(読売日本交響楽団の番組)のネット動画配信で、オスモ・ヴァンスカが指揮したベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と、ゲルト・アルブレヒトが指揮したモーツァルトの交響曲第40番の、それぞれ第1楽章を観聴きする。
 余談だけど、ヴァンスカの実演には、今から約20年前(1990年6月29日)の関西フィルの第80回定期演奏会で接したことがあるだけだ。
 チャイコフスキーの交響曲第4番がプログラムのメインだったが、よい意味でいつもの関西フィルとまるきり違っていたのに驚いた記憶が残っている。

 夕飯後、『植草甚一日記』を読み進め、四月三十日の条まで読み終えた。

 『本の本』も読み進める。
(三浦俊彦の『離婚式』は、そのストーリー展開から別役実の戯曲を思い出す)

 今日は、実家から送ってきたオタル製菓のキャラメルかりんとうを食す。
 その名のとおり、キャラメル味のかりんとうで、さくさくとした食感がよく、実に美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 それじゃあ、おやすみなさい。
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2010年の読書計画

 昨日、1月1日から『植草甚一日記』<晶文社>を読み始めたが、1945年という戦時下、それも敗戦直前という末期的状況下で、それでもなお(いや、だからこそか)、日々本を買い求め、本を読みふける植草さんの姿には、それが淡々とした筆致で記されているだけに、強く心を動かされる。
 ひるがえって、僕自身を省みるに、同じ本好きは本好きだけれど、植草甚一ほどには徹底できていないというか、本好きのディレッタント、本好きのアマチュアにとどまっているような気がしないでもない。
 まあそこには、植草さんの如く日々本を買い求めるだけの余裕がない、つまるところ恒常的な資金難があるのではあるけれど。
(「もっと働かんかい!」、と呼ぶ声あり。へへえ…)

 で、本好き本の道の達人からは邪道とそしられるかもしれないが、僕の読書体験の中で図書館所蔵の本がどんどんだんだん比重を増してくる。
 特に、昨年2009年などは、図書館で借りた本が、読了書籍の8割以上を占めるという結果となってしまった。
 まさしく図書館様様。
 そして、今年も同じく、図書館所蔵の本をどしどしぞくぞく読んでいこうとたくらんでいる。
(だいいち、『植草甚一日記』だって、図書館で借りた本だしね)

 まず、文藝評論関係の全集選集類では、長谷川如是閑全集<岩波書店>、林達夫著作集<平凡社>、花田清輝全集<講談社>のそろい踏み。
 まさしく、この国の知の系譜の一つをたどる選択だ。
 逆に、『新輯内田百間全集』<福武書店>は、理屈もへったくれもない、ただただ読みたい触れたい目を通したいという想いからの選択である。
 ほかに、中野好夫集<筑摩書房>や中野重治全集<同>も押さえておきたいと思う。

 続いて、戯曲シナリオ関係では、『岸田國士全集』<岩波書店>、『山中貞雄作品集』<実業之日本社>、『井上ひさし全芝居』<新潮社>、『ニール・サイモン戯曲集』<早川書房>はぜひ。
 ニール・サイモンでは、自らの来し方を綴った『書いては書き直し』<早川書房>も落とせない。
 あと、日本の演劇史を振り返るという意味で、大笹吉雄の『日本現代演劇史』<白水社>も余裕があれば。

 一方、今さら日本の近現代史の研究者になるつもりなど毛頭ないが、この国がどうして無謀な戦争に突入してしまったのか、ということについては、やはりどうしても興味がある。
 この国がどうして無謀な戦争に突入してしまったのか?
 その疑問を解く鍵の一つに、当時の為政者たちの思考や行動を改めて確認する作業があるのではないか、というのが僕自身の今現在の判断で、『木戸幸一日記』≪東京大学出版会>をはじめ、『宇垣一成日記』<みすず書房>、『高松宮日記』<中央公論社>、『牧野伸顕日記』<同>、『有馬頼寧日記』<山川出版社>など、徐々にあたっていくつもりだ。
(そうそう、多少意味は異なるが『古川ロッパ昭和日記』<晶文社>も読んでいきたいんだった)

 てか、こういうことをくだくだくどくど記していく前に、まずは実践あるのみじゃないか。
 さあ、読むぞ!
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2010年01月01日

2010年1月1日(CLACLA日記)

 今日から2010年が始まった。
 一日一日を本当に大切にしていかなければ。
 そして、メメントモリ!


 昨夜、日付けが変わってから実家に電話をかけ、父と母に新年のあいさつをする。

 いくつか雑件を片づけ、『植草甚一日記』<晶文社>を読み始めたのち、3時過ぎに寝つく。

 8時半過ぎに目覚め、9時ちょうどに起きる。

 掃除機をかけてから、朝昼兼用の食事をとる。
 お正月ということで、インスタントみそ汁と野菜スープをベースお餅2個を入れてつくった簡易雑煮を食した。
 ごちそうさま!

 『植草甚一日記』を読み進める。
 1945年1月1日から8月15日(敗戦の日)までの日記と、1970年一年間の日記をあわせた二部構成となっていて、1945年4月2日の条まで読み終えた。
 3月10日のいわゆる東京大空襲をはじめ、日々米軍機による空爆が続く末期的な状況の中、本を買い求め本を読みふける植草甚一の姿には、その日記の文章が淡々としているだけに、かえって強く心を動かされる。
(清沢洌の『暗黒日記』や、古川ロッパ、徳川夢声らの日記とあわせて読めば、なお面白いかもしれない。あと、木戸幸一や宇垣一成、有馬頼寧らの日記も加えるべきか)

 ところで、2005年に新装再版されたこの『植草甚一日記』だが、残念なことに註釈類が全くつけられていない。
 鶴見俊輔による解説はあるのだけれど、この日記が書かれたころの植草甚一に関する詳しい情報は付されていないのだ。
 例えば、日記の中に度々登場する双葉氏とは、映画評論家の双葉十三郎のことではないのか?
 まあ、この本を好んで読もうとする人間ならば、植草甚一の交友関係その他諸々を知っていて当然という判断が働いているのかもしれないが。
 でも、やっぱり親切じゃないよね。


 友だちから連絡があり、急遽河原町で会うことに。

 で、13時37分に外出し、四条通を歩いて河原町まで出る。
(途中、ブックストア談をのぞく)

 阪急前で友だちとおち合い、友だちの買い物中、こちらは10分間だけ6Fのティヨームでマッサージをしてもらう。
 首、肩のこり、はり、しびれ、痛みがひどかったため、10分間のお試しコース1050円に心を奪われてしまったのだ。
 マッサージのおかげで、少しはしのげるようになったが、お店の人曰く、相当ひどい状態にあるらしい。
 腰にもきているので、本当はしっかり時間をかけて…。
 やれやれ。

 その後、買い物を終えた友だちとホリーズカフェでお茶をし、いくつかお店をのぞき、17時40分頃に別れる。

 それから急に大切な用件が入り、結局夕食をすませて、阪急で大宮まで戻る。

 元祇園梛神社で初詣をすませ、グルメシティで買い物をし、20時57分に帰宅した。


 どんよりとした感じはありつつも、日中は青空が見えている。
 が、夜になって雪が降り出す。
 それでも、雲間から見える月はとても美しかったが。

 気温がぐぐぐぐっと下がり、寒さがとても厳しい。
 皆さん、くれぐれも風邪やインフルエンザにはお気をつけ下さい。

 友人知己から年賀状が届く。
 多謝。

 今日は、友だちとお茶をしているときにバームクーヘンを食す。
 なかなか美味しうございました。
 ごちそうさま!

 明日がいい日でありますように!
 そして、2010年がいい一年でありますように!!
 それじゃあ、おやすみなさい。
posted by figarok492na at 22:58| Comment(2) | TrackBack(0) | CLACLA日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年1月のエンタメ情報

 皆さん、あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願い申し上げます。

 さて、一年の計は元旦にあり、一月の計は一日にあり。
 と、言うことで、毎月一日恒例のエンタメ情報。


 まずは、いつもの如く演劇お芝居の類いから。

 現在のところ確定しているのは、15日〜17日の劇研アクターズラボ+正直者の会、鉄人漁船の『plant』(田中遊さん作・演出)。
 旧知の板倉真弓さんや西塔友美さんをはじめとしたラボ生たちの変化とともに、田中遊さんの仕事ぶりも興味深い。

 ほかに、22日〜25日のルドルフ×このしたやみの『熊』(アトリエ劇研)も都合がついたらぜひ。
 チェーホフの一幕物『熊』を、ルドルフとこのしたやみの面々が演じ分けるという企画だが、筒井加寿子さんと山口浩章さんという二人の演出家の動と静の対比が実に愉しみだ。

 また、29日〜31日、伊丹AI・HALLの現代演劇レトロスペクティヴ、虚空旅団の『学習図鑑 〜見たことのない小さな海の巨人の僕の必需品〜』(高泉淳子作、高橋恵さん演出)も見落とせない。
 高橋さんが、遊◎機械/全自動シアターの名作をいかに仕立て直すか?
 たぶん、よい意味でバランスのとれた舞台になるような気が、僕にはする。

 あと、これは純然たる演劇公演ではないけれど、明後日3日の劇研寄席(アトリエ劇研)も気になるところ。
 ときにはお芝居での演技以上に光り輝く(なんて言ったら、怒られるかな)二口大学さんをはじめ、京都小劇場界の演者陣たちが落語に挑戦する恒例の企画で、お正月の三が日をしめるにはぴったりなんじゃないだろうか。


 続いて、コンサート。

 こちらで当確=チケット購入ずみは、21日の大阪フィルの定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)。
 イギリス音楽を十八番とする尾高忠明が、僕の大好きなエルガーの交響曲第2番を振るっていうんだから、これは聴いておかなくちゃ。
 大阪フィルのブラスセクションの出来がちょちょっと気になるのだが…、まあいいや。

 チケットはまだだけど、どうしても聴いておきたいのは、16日のコンチェルトコペンハーゲンの来日公演(兵庫県立芸術文化センター小ホール)。
 チェンバロ奏者としても著名なラース・ウルリク・モルテンセン率いるデンマークのピリオド楽器アンサンブルが、バッハのコーヒー・カンタータや農民カンタータを演奏するコンサートで、中でもマリア・ケオハナのソプラノ独唱も期待大だ。
(ちなみに、ケオハナの歌唱は、youttubeで確認ずみなり)

 われらが街のオーケストラ京都市交響楽団は、10日のニューイヤーコンサートと22日の定期演奏会(ともに、京都コンサートホール大ホール)が控えている。
 前者は、やっぱり新進気鋭の川瀬賢太郎の指揮がのだめ、じゃないめだまだろう。
 P席のチケットを買いそびれたのが痛い。
 後者は、ガブリエル・リプキンの独奏するサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番が聴きものだが、今や絶滅寸前の「鋼鉄はいかに鍛えられたか」式の外山雄三によるショスタコーヴィチの交響曲第10番も貴重な体験になるかもしれない。


 最後に映画では、9日から京都シネマで上映予定の、アンジェイ・ワイダ監督の『カティンの森』。
 第二次世界大戦中、ソ連によって捕虜となったポーランド人将校が虐殺されたカティンの森事件を描いた作品で、ワイダらしさが全面に発揮された内容になっていると思う。
 雀百まで踊り忘れず。
 やはり観ておかないと。


 と、いった感じの2010年1月だが、今年も(今年こそは)いいもの愉しいもの心動かされるものに、どんどんどしどし触れていきたい。
 さあ、観るぞ!
 さあ、聴くぞ!
posted by figarok492na at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 今月のエンタメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする